浅草寺
☆浅草寺縁起
飛鳥時代・推古天皇三十六年三月十八日の早朝、宮戸川のほとりに住む檜前浜成・竹成兄弟が漁をしている最中、投網の中に一躰の像を発見した。 仏像のことをよく知らなかった浜成・竹成兄弟は、像を水中に投じ・場所を変えて何度か網を打った。 しかしそのたびに尊像が網にかかるばかりで、魚は捕れなかったので兄弟はこの尊像を持ち帰った。
土師中知という土地の長に見てもらうと、聖観世音菩薩の尊像であるとわかった。 そして翌19日の朝、里の童子たちが草でつくったお堂にこの観音さまをお祀りした。 「御名を称えて一心に願い事をすれば、必ず功徳をお授けくださる仏さまである」と、浜成・竹成兄弟や近隣の人びとに語り聞かせた中知は、やがて私宅を寺に改め観音さまの礼拝供養に生涯を捧げた。
浅草寺に伝わる縁起には、観音さま示現の日、一夜にして辺りに千株ほどの松が生じ・三3日を過ぎると天から金の鱗をもつ龍が松林の中にくだったと記されている。 この瑞祥が、後につけられた山号「金龍山」の由来となった。 また現在、浅草寺寺舞として奉演されている「金龍の舞」も、これに因む。
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