調神社
☆調神社
延元二年足利尊氏が調神社復興、観応年間兵火で焼失、至徳二年将師佐々木持清神殿造営、天正十八年小田原兵乱で焼失し荒廃。 慶安二年徳川家光が朱印状(月読社)発する。 享保十八年本殿建立(現境内内稲荷社)、安政年間社殿建立。 調神社別名は月山寺、かつては玉蔵院住職が兼帯していた。
※元文四年、修復費に社地の立木を伐採しようとした岸村民と、反対した浦和宿民との間に紛争が起きた。
☆調神社の七不思議
鳥居がない
境内に松の木がない
狛犬の代わりに兎像
御手洗瀬に片目の魚
日蓮上人駒繋ぎの欅
境内に蠅がいない
境内に蚊がいない
※蝿・蚊は隠語
☆調神社
伊勢神宮への御調(みつぎ)の初穂を納める倉を建てるので、貢物の収納・運搬の邪魔になるので、鳥居がない・松がないともいわれる。
※調物は、舟で浦和浜から伊勢湾まで運んだといわれる。 その後海が後退し干潟となると干潟の間を流れる河川を運び、やがて高台となり・河川が離れ・御蔵の役目を終えて普通の神社となった。
*伝説は面白くありたい!
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