日光御成街道
[鳩ヶ谷散歩]・川口市鳩ヶ谷
○昭和橋
かつては、岩槻街道に沿った平柳領用水を渡る幅一間ほどの橋があった。 1929年県道浦和草加線が開通し、岩槻街道との交差点・菅岩桶屋跡に昭和橋交差点ができた。 昭和橋角・鳥初商店前には「せうわばし」の石標があったが、今は無い。
○星野食品
豆腐屋、おでんも美味しい。 おからドーナツもある。
○川村水産
お寿司が美味しい、一軒隣の総菜屋も安くて美味しい。
○藤屋木暮
手焼き煎餅、海苔煎餅が美味しい。 鳩ヶ谷せんべい、古くは塩せんべいだったらしい。
○オルフロードミカド
パンならここ。
※「あんパン」の丸十ベーカリー→丸十まえのベーカリーがあったが、今はない。
○旧船津眼科医院
鳩ヶ谷名主は、代々船戸家が世襲していた。
※船津・舩津・舟津は、舟戸家の分家。
○湊屋・うなぎ
蒲焼きは甘系。
☆うなぎの蒲焼
宝暦十年、浦和太田窪・小島庄五郎が家人や親類縁者達に食べさせたのがはじまりといわれる。 その後江戸に広まり、寅吉(明治に入り鈴木)なる者が鳩ヶ谷吹上橋たもとで料理屋を開いた。 明治四十年頃、魚久の屋号で「うなぎ蒲焼屋」となり繁盛したが、1931年以降閉店した。
※三代目久吉は、土用丑の日には店を閉め・鰻を見沼代用水に放ち、うなぎ供養をしたといわれる。
※街道沿いの家は、間口が狭く奥行きがものすごく長いのが特徴。 江戸時代の商家の税金は間口の大きさで決められたためといわれる。
○十一屋北西商店
焼きうどんソースはここで買える。
☆十一屋北西酒店
安政二年近江に生まれた亀吉が上州にて奉公後、鳩ヶ谷にて酒類醤油店開業・上尾に酒類醸造所設立(明治三十七年)。 仲間11人と近江から出てきたので、十一人が西から来た→「じゅういちやにしきた」。
※中之条・十一屋本店の暖簾分けとの説も…
○いせ庄・うなぎ
蒲焼きは辛系、玉子焼きも美味しい。
※「竹江」の鰻も有名。
○田畑菓子舗
夏はモナカアイスとかき氷、冬は今川焼き。
※概ね午後営業
○市神社
江戸時代から市神社が祀られ、商売の神様なので道路寄りにあった。
※2002年解体修理。
かつて鳩ヶ谷宿で開かれていた三八市の守護神で、現在の社殿は天保9年ごろに建造されたと推定されます。 三八市は、毎月三と八がつく日に開かれた六斎市で、昭和中期まで続きましたが、残念ながら現在は途絶えてしまいました。
☆市神様・市神社
川口市鳩ヶ谷本町2-21
昔のおかめ市は、市神様中心に開かれた。 市神様の鬼瓦、面する家には悪いことが重なるといわれた。
○蔵
道路拡張に伴い、後退工事予定。
※古くは織物問屋だった。
○山大いそべ(八百金総合食品内)
お寿司が美味しい。 隣の肉屋「さわ田」のまん丸メンチカツ「メンチボール」も美味しい。
☆鳩ケ谷銀映
戦前は小劇場・戦後(1960年頃)は鳩ヶ谷銀映、後にマーケット、今はない。 前の通り古くは、「出戸の通り(出戸道・草加道・成田道)」とよび、成田山への道標があった。
☆本陣建物(船戸本陣)
1932年頃、真光寺(鳩ヶ谷駅西約600m)に移設・復元された。
☆鳩ヶ谷
古くは、上宿・中宿・下宿に分かれていた。 市は、三日と八日(三八市)。
※鎌倉時代に地頭・鳩井(鳩谷)が配置されたのが地名の由来といわれる。
※日光東照宮に近い方が上。
※三八市は享保十六年四月に始まる、穀類・野菜・種子・日用品・農具・苗木・川魚など賑わった。 明治時代最盛期には、五百軒~六百軒の店で賑わい、ボロ市ともよばれた。
○十一屋北西商店店舗
昭和前/1930頃/1955頃改修
木造2階建、瓦葺、建築面積52㎡
旧鳩ヶ谷宿の県道沿いに東面し、木造二階建、切妻造桟瓦葺で正面を下屋とする。一階正面に成二尺超のケヤキの差物を渡し、二階は繊細な格子をたて、軒は上下階とも出桁造とする。内部もケヤキの良材を多用し、二階は座敷を配する。宿場の面影を伝える商家。
○十一屋北西商店蔵
昭和前/1930頃
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積69㎡
店舗の南隣に東西棟で建つ。土蔵造二階建、桁行一二・七メートル梁間五・四メートル、切妻造桟瓦葺で、東妻面を戸口として下屋を設ける。外壁はモルタル洗出し仕上げで石造風に目地を切り、鉢巻を廻らす。内部は広い一室で、小屋はキングポストトラスとする。
☆鳩ヶ谷小学校講堂
川口市鳩ヶ谷本町1-6
明治三十年頃斉藤織物工場が鳩ヶ谷小学校(下の学校)の一部となると、おたけさんの幽霊がでると言われるようになった。
※下の坂には火の玉がでたらしい、狐の送り火ともいわれた。 狐の嫁入り話は三ツ和にもある。
☆市神様・市神社
川口市鳩ヶ谷本町2-21 昔のおかめ市は、市神様中心に開かれた。 市神様の鬼瓦、面する家には悪いことが重なるといわれた。
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