« 凌雲閣 | メイン | 日光御成街道 »

河口鍋匠

Kawaguchi91○河口鍋匠・川口の鋳物
 歴応年間河内国丹南郡より移り住んだといわれる。

※戦国時代岩槻城主太田氏の御用鋳物師渋江が江戸幕開府に際して川口に移住して広めた、との説もある。

Kawaguchi_imono31○川口市の鋳物
 室町時代末には、すでに鋳物工場があった。 江戸時代になると、鍋・釜・鉄瓶など日用品銑鉄鋳物中心となった。 天保年間には鍋屋平五郎など鍋商人が活躍した。
 明治時代になると株組織体制が崩れ、鋳物工場が一気に増えた。 薬研屋・永瀬庄吉が主導をとったといわれる。
 1961年には636工場・従業員17068人に達したが、1965年をピークに衰退がはじまった。

横線540透明

Saitama_imono○永瀬鐵工所

横線540透明

Kawaguchi_gakushyuin学習院鉄門(明治十年)
 宮内庁出入りの日本橋指物師が木型を造り、川口鋳物は二代目永瀬庄吉・三代目永瀬庄吉(永瀬次郎吉)・永瀬竜吉らが製造したといわれる。  

横線540透明

Daimon_imono吉原鉄門(明治十四年)
 川口鋳物・永瀬庄吉が、鋳鉄鉄門・吉原大門を製作した。

Yoshiwara_m44

Seishin_kawaguchi

横線540透明

Nabehei_72○永瀬鉄工所製作
 川口善光寺大楼鐘(明治以前・現存せず)、学習院鉄門(明治十年)、川口神社鉄華表・鋳物製鳥居(明治十一年製造も明治四十四年焼失)、太田大光院の手洗鉢(明治十三年)、吉原大門(明治十一年製造も明治四十四年焼失)。 成田新勝寺釈迦堂水盤(明治十八年・レプリカ)、待乳山聖天院石柱銅燈(明治十九年現存せず)、旧二重橋欄干及び外壁鉄柵(明治二十一年・現存せず)、日比谷公園鉄柵(明治三十六年・現存せず)、旧赤坂離宮表門(明治四十二年)、など

※小菅銭座(1860~1867)で鋳物製貨幣を製作したともいわれる。

横線540

Daimon_imonoc

Kawaguchi_imono31c

Saitama_imonoc

横線540透明

Nagase_1935c永瀬鉄工所・1935年頃

Nagase_showac

横線540

☆総同盟埼玉支部連合会
 大正十五年三月東京鐵鋼川口支部、永瀬鋳工場・増す鐘工場・徳永・野崎・小野沢・田中・永福・富岡・小池・名古屋・浜田、などが組合加盟。
 野崎工場争議・田中工場争議、1925年川口支部分裂、1927年関口製作所争議、1928年伊藤工場(伊藤仙太郎)争議、1930年鐘争議、1931年山崎鉄工所争議。
※川口駅から関口製作所(関口倉吉:評判は悪かったらしい)まで、他人の土地を踏まずに行けた、といわれる。
※伊藤仙太郎・伊藤宣六、センロクカマド。

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

ブログ記事を検索できます

  • Google

ブログ画像を検索できます

下記のアルバムを見る時は、右クリックから新しいウィンドウを開いてください。

ミニカー

  • Minicar1323a
    [Diecast cars]
    Any question available.
    Please ask in コメント column.

駄菓子

  • Dagashi1870a_2
    10円玉の世界-DAGASHI

めたる

  • Orgel_2b
    銅板・銀板の世界

北海道の昔

  • 啄木像
    北海道観光 in 1960'

札幌の昔

  • 定山渓
    札幌・定山渓

函館の昔

  • 啄木像
    函館・大沼

青函連絡船

  • Mashu_1fc
    田村丸から十和田丸まで .

浦和の昔

  • Aburaya1952
    浦和周辺

川口の昔

  • Kawaguchi41
    川口周辺

Nicolai Bergmann

  • Nicolai17a
    Nicolai bergmann
    (BOX ARRANGMENT)
    by ESTNATION