コカコーラ
○コカコーラ
1886年アトランタ、反アルコール気運の中で薬剤師ジョンスタイスペンバートンが疲労回復薬を売り出した。 一本25セントの濃厚なシロップで買った客は水で薄めて飲む薬品であった。 ある日、店に入ってきた二日酔いの客が「すぐに飲むから水で割ってくれ」というと、店員は水を汲みにいくのが面倒なので売り物のソーダ水で割って飲ませた。 そしては、炭酸飲料コカコーラが生まれた。
※大正八年に明治屋で販売されたらしい。
○コカコーラ
壜の原型は、より膨らんでいたが運搬に不都合との理由で細く改良された。
※The illustrated guide to collection bottles
☆清涼飲料の歴史
○文久七年、英国人ノース・レーが横浜で薬局を開き、炭酸飲料水を製造した。
※西洋では、炭酸ガスが医療に用いられた。
○万延元年、ラムネが長崎へ運ばれてきた。 後に、藤瀬半兵衛が製造。
○明治六年頃、岸田吟香が「檸檬水」を売り出した。(濃縮シロップ) また、胡瓜ラムネなどあった。
※瓶の形が胡瓜に似てい。(胡瓜壜・ハミルトンボトル、底が卵形で立てることができない) その後、各地で炭酸飲料の製造・販売が行われるようになった。
○明治八年頃から、横浜や東京でラムネが作られ、全国各地に広がった。
○明治十七年「平野水」が売り出された。 このときの商標が「一本矢」、後に「三ツ矢平野水」→「三ツ矢タンサン」→「三ツ矢印の平野水」→「三ツ矢シャンペンサイダー」→「三ツ矢サイダー」と代わった。
※明治十九年、東京にコレラが流行し「炭酸飲料を飲むとコレラにかからない」とラムネが爆発的に売れた。
○明治三十二年、横浜で秋元巳之助が「金線サイダー」発売。 その後、明治屋が「ダイヤモンド印サイダーやオレンジなど」発売。
○明治四十二年、第日本麦酒が「リボンシトロン」発売。
○大正八年、明治屋が「コカコラタンサン」を輸入販売。
○大正八年、三島海雲創業のラクトーが「カルピス」発売。
○昭和三年、麒麟麦酒が「キリンレモン」発売。
☆コークとペプシ
1886年ジョ-ジア州の薬剤師ジョン・スミス・ペンバートンが頭痛薬シロップを発売。 ある時、客がシロップを炭酸水で割って飲んだのがコカコーラのはじまり。
1898年ノースカロライナ州の薬剤師キャレブ・ブラッドハムが胃腸薬シロップを発売。 後にペプシコーラとなった。
コメント