鞴
○だるま鞴(踏たたら)
明治10年代まで使用されていた「タタラ」に代わり甑銑鉄溶解用の送風に用いられていた足踏み送風機。 この頃から次第に銑鉄の溶解は従来の木炭に変わりコークスが用いられるようになり、10人一組のうち8人が片側4人ずつに分かれ・脚を合わせて踏み板を踏み・主軸を往復させて送風した。
この時踏み子たちによって歌われた作業歌が「たたら節」の原型と言われている。
☆地団駄・地団太
地蹈鞴を踏む動作が、くやしがって足踏みするさまに似ていた。 さらに転訛したのが、「駄々」とも。
☆お釈迦
阿弥陀像・地蔵を鋳物でつくるつもりが、釈迦像を鋳てしまった。
※鋳物が途中でダメになるのが「じゃみる」、転訛して「おじゃん」。 半鐘の音との説もある。
☆ふいご祭り・鞴祭り
十一月八日前後に行われる火祭りで、火焼(ほたけ)とも呼ぶ。 京都では伏見稲荷など稲荷社の行事として知られ、その年の稲穂や井桁に組んだ薪を焚き・神饌を供えた。 また、ふいごを用いる鍛冶師・鋳物師といった職人の祭りでもあり、ふいご(吹革・鞴)祭りとも呼んだ。 神饌には蜜柑が好まれ、江戸などではこの祭りの日、早朝に鍛冶屋が蜜柑をまく風習があり、子どもの楽しみとなっていた。
※焼いた蜜柑を食べると病気にならない、ということらしい。(多説ある)
☆沖の暗いのに白帆が見ゆる あれは紀ノ国ミカン船
紀伊國屋文左衛門二十代の年、紀州は驚くほどミカンが大豊作だった。 収穫されたミカンを江戸に運ぼうとしたが、その年の江戸への航路は嵐に閉ざされていた。 江戸へ運べなくなり余ったミカンは上方商人に買い叩かれ、価格は暴落した。
当時江戸では鞴祭りに撒かれるミカンが、紀州から船が来ない事で価格が高騰していた。 紀州では安く・江戸では高い、これに目をつけた紀伊國屋文左衛門文左衛門は玉津島明神の神官で舅の高松河内から大金を借りてミカンを買い集め・家に残ったぼろい大船を直し・荒くれの船乗り達を説得し命懸けで嵐の太平洋に船出した。 大波を越え・風雨に耐えて何度も死ぬ思いをしながら・文左衛門はついに江戸へたどり着いた。
コメント