海苔
○品川海苔
☆味付海苔
明治二十一年三月、日本橋海苔問屋二代目山本徳次郎が考案した。
☆浅草海苔
江戸時代初期、田中四郎左衛門が葛西中川の海辺で拾った海草を炙って食べたのが、始まりともいわれる。 その後、隅田川から離れた品川・大森・六郷などで採るものも浅草海苔とよぶようになった。
☆山本海苔店
嘉永二年、山本徳治が日本橋室町に「山本海苔店」創業。 二代目が「味附海苔」考案し明治天皇京都行幸の土産物に献上し、宮内庁御用達となる。 一方、庶民向けに廉価での販売もし「買いやすい店」と評判になった。
※天明七年には「海苔巻き」が考案されていたらしい。
☆山形屋
明和元年京橋にて創業。
☆浅草海苔
江戸時代初期、東京湾の奥浅草川で穫れた海苔を浅草寺門前市で売っていた。 その後地形が変化し、海苔が穫れなくなった。 代わって品川・大森で海苔を穫るようになったが、浅草海苔として名前が残った。
※享保・延享年間、紙すきをヒントに現在の海苔の形となった。 それまでは、海苔のかたまりを手で押し広げただけだったらしい。
※江戸湾、海苔を付着させるため海中に立てた竹や木の枝を「ヒビ」とよんだので、日比谷入江。
☆焼き海苔
江戸時代初期、海苔の養殖が始まり干し海苔が作られるようになったといわれる。 明治十年、山縣屋が第一回内国勧業博覧会に「貯海苔(焼き海苔)」出品、味塩海苔(味付け海苔)というのもあった。
☆浅草海苔
慶長年間には浅草辺で海苔が穫れなくなり、代わって品川・大森・羽田で海苔がつくられ、葛西(東西宇喜田村)でも海苔がつくられ浅草で売られた。
※乾海苔葬儀用祈念碑・東葛西4-38-9(真蔵院)、乾海苔創業記念碑・北葛西4-24-6(稲荷神社)
☆雷不動、江戸川区東葛西4・真蔵院
永禄年間の大雷雨の日、雷が収まった後不動の宝剣に血が付いていた。 村人は不動様が雷を退治したと信じ、雷不動とよんだ。
コメント