両国の花火
東都両国夕涼之図(名所江戸百景)
☆両国の川開
八代将軍徳川吉宗の時代、大飢饉・コレラ流行などにより死者多数、このため享保十七年五月二十八日水神祭を催す、その後盛大となり両国橋上流は玉屋・下流は鍵屋の花火大会となった。
☆花火屋
慶安元年七月の禁令にて花火製造禁止。 その後、両国吉川町玉屋市郎兵衛と横山町鍵屋弥兵衛が認められた。
☆玉屋と鍵屋
享保十八年隅田川・川開きで大がかりな花火が打ち上げられた。 万治元年「鍵屋」創業、七代目が「玉屋」を開業、天保十四年「玉屋」が火事を越こし江戸追放。
☆鍵屋と玉屋
享保十七年八代将軍徳川吉宗が、コレラや冷害の被害者供養にと水神祭を行い・花火を打ち上げた。 このとき花火をつくったのが「鍵屋の弥兵衛」、打ち上げ花火は正徳元年ごろにはつくられていた。 文化五年鍵屋六代目のとき、番頭が暖簾わけし「玉屋」誕生。
※稲荷神社の狐像が鍵をくわえているのを見て「鍵屋」、もう一方の狐像がくわえていたのが玉なので「玉屋」。
☆両国の川開き
船宿・茶屋・料理屋が費用を負担して挙行、一分出せば一般客も花火を揚げることができた。
☆明暦の大火
十万人以上が死んだといわれる明暦の大火、葬った本所回向院は寺の経営のため春場所と夏場所の勧進相撲を催した。(後に江戸大相撲) また幕府はお盆に花火を上げて供養とした。(後に隅田川花火)
☆江戸名所ベスト10
両国橋(花見・花火・紅葉・雪見)・浅草寺(待乳山)・日本橋・神田明神(山王権現)・上野寛永寺(不忍池)・芝増上寺(愛宕山)・富岡八幡(州崎弁天)・亀戸天神(梅屋敷)・高輪大木戸(御殿山)・飛鳥山(王子稲荷)
☆両国橋
古くは、下総国と武蔵国の国境(隅田川)であったので、「両国橋」。
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