○神田明神
天平二年武蔵国豊島郡江戸柴崎に大己貴命を祀った。 平安時代、京で晒されていた平将門の首が柴崎に飛んできたので塚を築いて祀った。 その後、将門の怨霊が祟り人々を苦しめたのを、時宗二世真教が「蓮阿弥陀仏」の法号を板碑に刻み供養し・荒れ果てた神田の宮を再興したといわれる。
その後、江戸城拡張造成に伴い駿河台に移転、更には湯島台に移転し江戸城東北の鬼門鎮護の江戸惣鎮守として幕府により壮麗な社殿が造営された。
神田明神 祭礼
☆天野屋・神田明神
弘化三年創業、明神甘酒や芝崎納豆を売っていた。
※店地下の土室で麹を育てているらしい
☆柴崎納豆は、神田明神の名物。
☆神田材木問屋・神田材木町
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