大聖寺
○大聖寺・越谷
天正十五年家康が宿泊したさいの寝間着が残されている。 石田光成との決戦に向かう家康が太刀を寄進、東照宮も建てられたといわれる。
※浄山寺には、家康がしたためた「鼻紙朱印状」。 ただし、実際に家康が越谷に来たかどうかは定かではない。
☆大相模不動尊大聖寺
天正十九年徳川家康が宿泊の後、大聖寺と改名。 慶長五年家康が太刀一振りを寄進した伝えられる。 明治二十八年焼失、山門(天平勝宝二年築・文化元年再建)のみ焼け残った。
☆大聖寺のタブノキ
樹齢五百年以上といわれる。 ※魂の宿る木→タマ(魂)の木→タマノキ、との転訛説もある。
☆大聖寺の山門
大相模の大聖寺は寺伝によると天平勝宝二年の創建と言われる古刹で、越谷最古の寺院と伝えられています。 本尊は奈良東大寺初代の別当良弁僧正作によるといわれている不動明王像です。
山門は文化元年建立のもので、かつては瓦葺であったが、嘉永元年には銅板葺に葺き替えてあります。 山門に掲げられている「真大山」の額は老中松平定信(白河楽翁)の筆によるものです。
この山門は明治二十八年七月の火災を免れた唯一の建物で、七堂伽藍を備えていた江戸期の大聖寺を窺わせる貴重な建造物です。
※相模は、サ神が源という説がある。(サは稲作の意)
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