西新井大師
☆西新井
天長三年弘法大師が悪疫に苦しむ人々を救おうと、十一面観音と自画像を彫り・観音像本尊とし・自画像を枯井戸へ埋めた。 二十一日間の護摩祈願の後、井戸から水が湧き・人々の病は治癒した。 この井戸が大師堂の西側にあったので「西新井」とよばれた。
☆西新井駅
当初、北千住から北上し草加へ直行する路線を計画した。
しかし、花又(現花畑)の住民が鉄道敷設に反対し・西新井大師周辺の住民が熱心に誘致活動したので、明治三十二年一月西新井大師経由の路線に変更した。 しかし今度は、参詣者を運ぶ人力車組合が反対したのを無碍に断るわけにもいかず、人力車を利用せざるを得ない距離に駅を造ることとなった。
※当時は遊園地もあったが、後にバス車庫・駐車場となった。
☆東上線と伊勢崎線
東武鉄道と東上鉄道が合併後、伊勢崎線と東上線を結ぶ「西板線11.6km(西新井~上板橋)」が計画された。 大正十三年関東大震災で計画中断・その後の不況で計画は中止となった。 結局、1931年西新井~大使前1.1kmのみ開通した。
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