新倉たてもの民家園
☆新倉・白子
天平四年新羅郡が設けられた。
新羅→新座→爾比久良→新倉、と転訛した。
志楽木→志良久→志楽(四楽)→白子、と転訛した。
グンマ語では「すいのう(水嚢)」、ゆでた食べ物をすくい上げるのに使った。
雑丹袋(現彩湖南端荒川左岸)
☆新座郡(にいくらぐん)
旧仮名遣いでの読みは「にひくら」。 はじめ新羅郡(しらぎぐん、しらぎのこおり)として設けられ・字を新座郡(しらぎぐん、しらぎのこおり)と改めてから、その字に引きずられてにいくらの読みが正式となったと考えられる。 時代によっては志楽・志楽木・志羅木(しらぎ)・志木(しき)・新倉(にいくら)などとも表記し、「にいざ」と読まれたこともある。
☆足洗わず地蔵(和光市)
むかしむかし、占いやお灸治療などを熱心にしてくれる大変親切な人が住んでいました。 彼は、農作業中でも、頼むといやな顔もせずに飛んできて、治療をしにきてくれました。 とても一生懸命な人で、一刻も早く治療するために、足を洗っても片足しか洗わないままで他の人の世話にかけつけてくれました。 彼が亡くなると、村人たちはその姿をお地蔵様にしてまつろうといって、立派なお地蔵様を建ててあげました。 彼が片足を洗わずに世のために尽くしたので、「足洗わず地蔵」と呼ばれました。
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