福神漬
☆酒悦
延宝年間(1673~1781年)伊勢山田の野田清右衛門が江戸本郷元町にて乾物屋「山田屋」を開いたのが前身といわれ、後に池之端に移った時に上野輪王寺の門跡が好き勝手につけたらしい、詳細は不明。
☆福神漬
日暮里浄光寺に福神漬の碑(福神漬顕彰碑)があるらしい。
☆福神漬け
酒悦十五代店主野田清右衛門が、七種類の野菜を醤油漬けにしたのが始まり、七種類の野菜で七福神から「福神漬」と名付けた。 明治三十五年頃日本郵船欧州航路でカレーライスに福神漬をそえたといわれる。 この「福神漬」は一等船客限定であり、二等船客・三等船客には沢庵だったそうだ。
☆酒悦
江戸時代、東叡映山輪王寺に香煎や海産珍味を納めたところ、門跡白川宮が酒が悦ぶほど旨いと言ったので「酒悦」。
※明治三十年代日本郵船でカレーライスに福神漬が添えられたのは、明治屋が企んだといわれる。
☆酒悦
延宝三年本郷元町に海産物店「山田屋」創業、後に上野池之端に移転し珍味・香煎なども販売。 輪王寺住職白川宮がこの香煎を気に入り「酒が喜ぶほどうまい」、で「酒悦」。 酒悦十五代目野田清右衛門が「福神漬け」創案。
※「福神漬け」は戯作者梅亭金鵝といわれる ※近隣の香煎茶屋も「酒好」・「酒袋」との屋号を賜ったが、後に廃業。
☆福神漬
江戸の大名屋敷では、大晦日から三が日までお茶禁止。 茶の代わりに飲んだのが香煎 。
※福神漬は、ダイコン・ナス・シロウリ・シンコン・ナタマメ・シソの実・ショウガなどを細かく刻み醤油に漬けた。
☆武州日暮里諏訪浄光寺八景詩歌
「日暮里八景」の名は享保十三年諏方神社別当浄光寺の宝山が当時の文化人にもとめて八景の詩歌をあつめ、さらに林大学頭信允の十二景をあわせ、それに画をそえて『武州日暮里諏訪浄光寺八景詩歌』を出版したことから有名になったもので、仙筑波茂陰・黒髪晴雪・前畦落雁・後岳夜鹿・隅田秋月・利根遠帆・暮荘炬雨・神祠老杉がそれである。
☆酒悦・台東区上野
延宝三年創業。 延宝三年伊勢山田の野田清右衛門が江戸本郷本町で海産物問屋「山田屋」をはじめた。 後に寛永寺門前に移転し、香煎を扱うようになり「香煎屋」ともよばれた。
やがて寛永寺に香煎や海産珍味を納めるようになり、門跡白河宮から「酒が喜ぶほどに旨い」と味を誉められ屋号「酒悦」を賜った。
十五代清右衛門が漬物に醤油を用い、この醤油漬けを食べた梅亭金鵞が「店が不忍池弁天近くにあるのだから、七福神に見立てて福神漬と名付けよ」。
※江戸時代、茶は仏事とされ祝儀には用いなかった(現在の香典返しの茶・結婚式の桜湯)
○東海寺
徳川家光が鷹狩りのおり、東海寺にて昼飯。 禅寺なので、香の物を添えた質素な食事だったが、腹が空いた将軍にはなによりのご馳走・名を尋ねるも「貯え漬の香の物」との返答。 ならば「貯え漬にてはあらず、沢庵漬けなり」、とて沢庵のはじまり。
☆沢庵
平安時代から食べられていた漬け物、重石が沢庵和尚の墓石に似ているので「沢庵」とよばれるようになったとの説もある。
コメント