中島知久平邸 (1)
☆中島知久平邸メモ
本邸宅は、中島知久平(なかじまちくへい)が両親のために、市内押切町の生家(旧宅)近くに建造した敷地面積10,000平方メートルを越える大規模な邸宅です。
築地塀(ついじべい)に囲まれた敷地内には、主屋(おもや)・蔵(くら)・表門(おもてもん)・門衛所(もんえいじょ)・屋敷神社殿(やしきがみしゃでん)が配置され、主屋南側には3,000平方メートルにものぼる平坦な前庭が広がります。主屋は、玄関棟、客室棟、居間棟、食堂棟など複数棟からなり、和風建築様式に、応接室などの洋風建築を一部加味した意匠(いしょう)で構成される近代和風建築です。また回廊式の構造をとり、中庭を囲んだ「ロ」の字型となっています。素材的にも全て吟味された良材が使用され、国外にまで資材を求めたと言われています。
平成20年度、中島知久平邸の調査研究が行われ、主屋と門衛所から棟札(むなふだ)が確認されました。主屋は昭和5(1930)年4月27日、門衛所は昭和6(1931)年7月23日の上棟で、特に主屋において設計監督が宮内省内匠寮(たくみりょう)出身の伊藤藤一であることが判明しています。
建築の意匠・構造・素材において学術的価値が高く、規模も大きく質の高い遺構であり、本県に残された近代和風建築を代表する建造物として極めて重要なものです。また明治の宮殿建築としての特徴が見られる建物です。
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