深谷・まちあるき
○大谷家住宅
○旧東京第二陸軍造兵廠深谷製造所給水塔
☆深谷市町名一覧
秋元町(あきもとちょう)・明戸(あけと)・新井(あらい)・石塚(いしづか)・伊勢方(いせがた)・稲荷町(いなりちょう)・内ケ島(うちがしま)・上野台(うわのだい)・江原(えばら)・大塚(おおづか)・大塚島(おおつかじま)・大谷(おおや)・起会(おきあい)・折之口(おりのくち)・柏合(かしあい)・樫合(かしあい)・上柴町(かみしばちょう)・上手計(かみてばか)・上増田(かみますだ)・萱場(かやば)・北阿賀野(きたあがの)・櫛引(くしびき)・国済寺(こくさいじ)・国済寺町(こくさいじちょう)・寿町(ことぶきちょう)・境(さかい)・栄町(さかえちょう)・桜ケ丘(さくらがおか)・柴崎(しばさき)・下手計(しもてばか)・宿根(しゅくね)・上敷免(じょうしきめん)・新戒(しんがい)・高島(たかしま)・高畑(たかばたけ)・田所町(たどころちょう)・田谷(たや)・血洗島(ちあらいじま)・天神町(てんじんちょう)・常盤町(ときわちょう)・戸森(ともり)・中瀬(なかぜ)・仲町(なかちょう)・成塚(なりづか)・西大沼(にしおおぬま)・西島(にしじま)・西原(にしはら)・沼尻(ぬまじり)・蓮沼(はすぬま)・幡羅町(はたらちょう)・原郷(はらごう)・東大沼(ひがしおおぬま)・東方(ひがしがた)・人見(ひとみ)・深谷(ふかや)・深谷町(ふかやちょう)・藤野木(ふじのき)・堀米(ほりごめ)・本田ケ谷(ほんだがや)・曲田(まがった)・町田(まちだ)・町端(まちはた)・緑ケ丘(みどりがおか)・南阿賀野(みなみあがの)・見晴町(みはらしちょう)・宮ケ谷戸(みやがやと)・本住町(もとすみちょう)・矢島(やじま)・谷之(やの)・横瀬(よこぜ)・
深谷の地名由来
水に関する地名が多い
☆深谷
古く利根川が氾濫を繰り返した低湿地・萱が折り重なった伏萱が転訛、などの説がある。
※康応二年、上杉憲英が国済禅寺創建時の鐘に「藩羅郡深谷庄常興山国済禅寺」の表記あり。
※茅場・萱場という地名もある。
☆上敷免(じょうしきめん)
古くは上鋪免とも。 雑色人が多く住み・貢租が免除となったといわれる。(雑色免除→雑色免→上敷免)
☆起会(おきあい)
明治七年、沖宿と沖が合併して起会。
※沖は、広い地の意
☆上手計(かみてばか)・下手計(しもてばか)
古くは、手斗・手墓とも。 下記などの説がある。
○この地で戦傷した八幡太郎義家家臣が傷口を洗ったのが地洗島、落とした手を埋めたのが手墓。
○源平時代での竹幌合戦から、手計幌(たけほろ)。
○崖地(ハケ・バケ)なのでテバケ・手バカ。
※上方にあるのが上手計(上手バケ)、下方にあるのが下手計(下手バケ)。
☆血洗島
下記などの説がある。
※「血洗」という地名は、国内に数カ所ある
○この地で戦傷した八幡太郎義家家臣が傷口を洗ったのが地洗島(血洗島)、落とした手を埋めたのが手墓。
○岸・末端を表すアイヌ語のケシ・ケセン・ケッセンが源。(気仙沼・厚岸と同意)
○利根川の氾濫で、度々地が洗われたので地洗い。 転訛して血洗。
○岡谷香丹が延徳三年に皿沼城を築城した地皿沼が源。 皿沼→血沼→血洗沼→血洗と転訛した。
☆新戒(しんかい)
古くは新開(鎌倉武将新開荒次郎重実に由来)、明治二十二年高島村・成塚村と合併し「新戒村」。
☆八基(やつもと)
明治二十三年、八つの村が合併した。
コメント