旧醸造試験所第一工場
☆王子水車場・醸造試験所(鹿島紡績所他)跡地
元治元年幕府が大砲を製造のために反射炉と錐を設置しました。 その動力用水車の水を得るために千川用水を巣鴨から分水。 反射炉は完成しましたが、幕府倒壊により使用されなかったようです。(反射炉工事は中断という説あり)
この地と水に着目したのが鹿島万平で、ここに民間で最初の紡績工場(鹿島紡績所)を設置。 明治五年から操業を開始し、東京紡績に吸収合併される明治二十一年まで操業しました。 金剛寺(紅葉寺)に「鹿島万平翁之碑」(明治三十八年建立)があります。
鹿島紡績では、千川用水で水車(直径約6.2m・イギリス製)を回すだけで水は全然汚れていませんでした。 渋沢栄一はこの水は紙抄きに使用可能と判断し、この水を利用して王子に抄紙会社を設立することを決断しました。 大蔵省紙幣寮印刷局(後の印刷局抄紙部)も千川用水に着目し、抄紙会社が契約していた水の半量を召し上げ、明治九年に王子に製紙場を設置。 更に、明治十三年に鹿島紡績所の隣に配合分科を設置し、日本最初の稲ワラパルプの製造を開始しましたが、明治二十二年に本部内(王子工場)に移転しまし た。
更に、明治三十七年に大蔵省が醸造試験所を設置。 平成七年に主なる研究機能を東広島市に移転し、醸造研究所と名称を変更。 さらに平成十三年に独立行政法人酒類総合研究所として新たにスタートしました。
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