旧東京市深川食堂
☆旧東京市深川食堂
昭和前/1932/1945頃改修
鉄筋コンクリート造2階建、建築面積168㎡
角地に建つRC造2階建。南面西端をエントランスとし、その奥を、2階天井まで全面窓で明るく開放的な階段室とする。当初は2階南面には水平に連続するスチール・サッシュ窓が設けられた。震災復興事業で建設された食堂で、当時の建築デザインの潮流を伝える。
☆東京市営公衆食堂
大正七年米騒動により、神楽坂食堂(大正九年四月十七日)・上野食堂(五月十四日)開始。 当初は普通食だけだったが、ミルクホール開設(神楽坂食堂)・饂飩食開始(上野食堂)となり利用者が急増した。
大正十年度、日本橋食堂・神田橋食堂・本所食堂・神楽坂食堂・三味線堀食堂、開設するも大震災火災でほぼ焼失。 震災後社会的需要により、神田假設公衆食堂・日本橋假設公衆食堂・三味線堀假設公衆食堂・上野假設公衆食堂・深川假設公衆食堂・丸の内假設公衆食堂・数寄屋橋假設公衆食堂・本所假設公衆食堂・両国假設公衆食堂・九段假設公衆食堂、開設。 大正十三年頃から、順次閉鎖。
その後震災救護対策として、三味線堀食堂・神田食堂・柳島食堂・九段食堂・緑町食堂・上野食堂・新宿食堂・茅場町食堂・田町食堂・深川食堂、開設。(1936年には16箇所となった)
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