国昌寺
曹洞宗の古刹であり、開山は心厳宗智。中興開山は桃山期に能筆家で知られた大雲文龍。文龍は諸国を遊歴し名僧としての名を高め、後陽成・後水尾の両天皇に歌書を指導した。国昌寺に戻ってから関東地方のいくつかの寺院の開山、または中興開山となった。3代将軍家光から寺領10石を寄進される。 国昌寺の山門は「開かずの門」として有名。江戸中期に建立された。欄間の龍は左甚五郎作と伝えられ、この門を棺が通ると軽くなる〈龍が食う〉という伝説があり、門は閉じられ「開かずの門」になったといわれる。また田畑を荒らす龍を甚五郎に彫ってもらい釘付けにしたとの伝説もある。
☆開かずの門
古くは見沼に住んでいた龍が村に危害を加えたため、左甚五郎に龍を彫ってもらい門に掲げたところ、龍はおとなしくなった。
ただ、お葬列がこの門をくぐると龍が死人を食べてしまうといわれ、開かずの門となった。
☆国昌寺門
江戸時代築、古くは茅葺屋根・大正時代にトタン屋根になるも・1979年銅板茅葺に改築。
☆左甚五郎
大崎・国昌寺門の竜
見沼に住む竜を国昌寺に封じ込めたが、葬列が門をくぐると竜が死者を食べるというので、開かずの門となった。
大門・愛宕社の竜(大門神社北側小祠)
社崖下に住む竜を封じ込めようと、竜の彫刻を社向拝釘付けとした。(釘付けの竜)
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