鴻沼 メモ
☆鴻沼
江戸時代に、現在の下落合から鹿手袋にかけてあった南北に細長い沼で、沼の周辺17ヶ村の農業用の溜井として利用されていました。 その後、江戸時代中頃の享保年間に井沢弥惣兵衛為永によって、沼の中央部に排水路が開削され、同時に北袋の見沼代用水西縁から引水し、今までの鴻沼の水の代わりの用水として「鴻沼用水」という名称で、以降270年にわたる長い間近隣の水田を潤すことになりました。
☆鴻沼用水
下落合から鴻沼低地をはさんで東縁と西縁に分かれて南下し、周辺の新田を潤していた水路です。 井沢弥惣兵衛為永が享保十三年(1728年)に利根川から引いた見沼代用水西縁から分水し、新都心駅南側の高台橋で中山道をくぐり、新田開発されたこの地域と下流部の新田を潤していました。
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