西福寺
この三重塔は、盛土を基壇とし、自然石を礎石とした高床式の三層塔婆です。 寺伝によると、三代将軍家光の長女千代姫が元禄6年(1693)に願主となって建立され、塔内には釈迦三尊と千代姫の位牌が安置され、相輪の宝珠には、正観音、毘沙門天、仏舎利が安置されています。 総高は22.96mを測り、県内に現存する最も高い木造建築です。 様式は、和様を基調とし桟唐戸や勾欄・親柱等を唐様としています。
☆西福寺三重塔、元禄六年・方三間の三重塔・銅瓦棒葺(もと檜皮葺)・和様・甲子の年に「塔のぼせ」の行事。
☆木造如意輪観音坐像及び像内納入物、江戸、本尊 像高90㎝・像幅55㎝・像奥56㎝、曲物 総高22.3㎝・径9.7㎝、本尊の胎内に内部が入籠状に仕切られた曲物の中に99体の小観音像が納められていた。通称「百観音」。
☆西福寺の金剛力士像
戦後、西福寺の金剛力士像が、台徳院霊廟惣門(芝増上寺)に移された。
☆三重の塔頂上の擬寶球の中には、金無垢の毘沙門天が安置されると伝えられる。 かつては高く櫓が組まれ、毘沙門天の開帳を行っていたらしい。
☆某年十二月二十八日正月の用意に忙殺されるなか、太田持資入道道灌勢が攻め入り討ち滅ぼされた。 それ以来、この地では正月に餅を搗かない風習があったとも伝えられる。
※古くこの付近は、大寶寺山とよばれていた。
☆西福寺
徳川家光総領の千代姫、信仰深く「尾州和歌山に三重の塔を建て・仏を祭り・世人を救うべし」と家来に告げた。 家来はよく聞き取れないも聞き返すわけにいかず、武州赤山に三重の塔建立を命じた。 しかし赤山は山が多く、探し求めた地が西立野百観音さまだった。 千代姫、三重の塔を見に来ると、百観音に感激し多額の金子を与えた。
※千代姫の位牌が三重の塔内に納められているらしい。
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