岸町不動尊
☆岸町不動尊
不動明王座像・二童子・二明王像、江戸時代初期の作とされる。 五大明王(不動明王・降三世明王・軍茶利明王・大威徳明王・金剛夜又明王)を考慮したとみられるが、三明王しかない。
☆木造不動明王坐像および二童子像、木造大威徳明王像および木造金剛夜叉明王像、江戸時代、
不動明王坐像:像高54.0㎝、大威徳明王像:像高56.0㎝、金剛夜叉明王像:像高65.0㎝、
不動明王:寄木造、着色、玉眼嵌入・台座・火焔光背とも揃い。 江戸初期。
金剛夜叉明王:明治15年(1882)の墨書銘。 岸町不動尊旧蔵。
調公園
※明治七年調宮公園偕楽地開設、明治二十四年埼玉縣営から浦和町営、大正三年県立物産陳列館の開設に伴い内務省の土地から県有地となった。
☆岸町不動尊
明治四年まで岸村に「福寿寺」があったが、同年五月廃仏毀釈で福寿院が廃寺になり、同年十一月には村一同が神道に変わったが従来の福寿寺墓地はそのまま使いたいということになった。 明治十一年に岸村の不動信者による根強い信仰が押えがたく、明治十一年岸町3丁目に新たに不動尊を建立したが、諸般の事情でこの不動尊も取り壊されることになり・1982年に浦和博物館に寄贈された。
☆天神社
福寿寺は、古くは調神社の祭祀を兼帯で務めていたが、かつて同寺の庵であった月山寺が調神社の別当となってから、当社とのかかわりを強め、化政期には寺僧の私唱であるが当社にちなんで「菅原山」と号していた。 同寺は、享徳四年の開山と伝えられ、神仏分離後に廃寺となった。
※岸村十蓮寺・福寿寺薬師堂に薬師と十二神像。
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