二子山古墳
☆二子山古墳は、稲荷山古墳の南側、埼玉古墳群のほぼ中央にあたります。長さ138m、埼玉古墳群の中で、そしてかつての武蔵国の中でも最大の前方後円墳です。名前は、前方部と後円部という二つの山が連結したような形からついたもので、「観音寺山」とも呼ばれていました。 「二(双)子山」という名の古墳は全国各地にみられます。墳丘は二重の堀に囲まれており、それを含めた長さは南北240m以上になります。
墳丘に登ることはできませんが、堀に挟まれた中堤は遊歩道になっており、ぐるり四方から墳丘を間近に見ることができます。側面から見ると、古墳は大きな船が港にいるように見え、その大きさが実感されます。でも気分は、史跡の中にいるというより、のどかな散歩道を歩いているようです。春にはその周囲でポピー、花菖蒲などの花が咲き、訪れる人の目を楽しませてくれます。 南側の県道からは、前方部の前面を直接見渡せます。この道路は古墳群の中央を横切っていますが、沿道の建物に視界をさえぎられて、自分が古墳群の中にいるとはほとんどわかりません。例外は二子山古墳で、家並みがとぎれたかと思うと緑の大きな墳丘が突然目の前にあらわれ、何か不思議な世界の入り口に来たように思えます。思わず引き込まれてしまいます。
埋葬施設は発掘調査されておらず詳しいことは不明ですが、墳丘周囲の調査で出土した埴輪から、6世紀初頭前後に造られたと推定されています。稲荷山古墳に続く時期にあたりますが、稲荷山古墳とは、墳丘の向きが同じ、またともに、中堤の西側に「造出し」と呼ばれる四角い土壇をもつなどの共通点があります。位置、時期とともに、両者の連続性がうかがわれます。
また相前後して日本最大の円墳である丸墓山古墳が造られたとみられ、両者の関係は埼玉古墳群の大きな謎となっています。
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