東福寺
○松寿山不動院東福寺
草加市神明1-3-43、048-922-3051
草加宿の祖・大川図書により慶長十一年に創建され、僧・賢宥が開山したといわれています。 旧道に面して石碑が建っており、そこから西へ参道を進み・山門をくぐります。 本堂の内陣と外陣との境には、島村園哲による見事な彫刻欄間があります。 欄間は三枚で、真ん中は龍、左右が中国で古来有名な二十四考です。
○東福寺山門
この山門は、正面の柱間3.03m・妻は2.57mの棧瓦葺四脚門です。 四脚門は四足門ともいわれ、本柱(円柱)の前後に控柱(角柱)が四本立つことから四脚門といわれます。 本柱は、礎石上に立ち・柱頭は冠木を架し・控柱は粽を付して礎盤上に立っています。 江戸時代の木割書によって造営されていますが、一部手法は桃山頃になった木割書「匠明」と規を一つにしています。 妻虹粱の下端を異状にくりあげて、中央の三つ斗を安定した組物にした点など、細部については、工匠の熟練した技術がうかがえます。 各部の絵様彫刻は温和で古様であり、冠木上の彫刻は、宗祖に由来した見事な彫刻を配し、元冶二年銘を持ち、彫工・後藤常重の非凡な刀痕がみられ、よくまとまった四脚門の遺構です。
○東福寺鐘楼
基壇の刻銘から、文久二年に再造立されたことがわかります。 石積みの基壇上に建つ鐘楼で、当時の優秀な工匠によって造営されたと推定されます。 この鐘桜は、石積みの基壇上に建ち・柱間2.72mの方形です。 絵様は立川流を基本とし、彫刻は江戸に近い関係で、当時の優秀な技法が見られます。 基壇に「文久二年七月再造立」の刻銘があり、時代が判明できます。
○大川図書の墓
境内の墓地には大川図書の墓があります。 また池の南側には、江戸中期の医師で東都落語の中興の祖といわれる石井宋叔の碑があります。 鐘楼の並びには「三鈷のまつ」があります。 これは松の葉が三本ある珍しいもので、高野山には空海が投げた「三鈷」がかかっていた呼ばれる松があり、同じ種類で、この松の落ち葉を持っていると良いことが起きる、と信心されています。(枝から取った場合、悪いことが起きるとも言われています)
☆草加
徳川秀忠が大原(八潮市)で鷹狩りを行ったさい、当地には人家なく・草木が生い茂り・沼が広がり、人馬が進めないので備前守大川図書に命じて道を補修させた。 大川図書は領民を集め、道を造り・茅を敷き、新道を造った。 これに感心した秀忠が「これも草が大功、草加と名付けよ」。
※砂地を意味する「ソガ」との説もある。
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