二木屋
☆二木屋(旧小林英三家住宅)門及び塀
大谷石の切石を積んだ塀と木製の門扉です。 敷地の西側と北側にめぐらされた塀は、大谷石を六段に積む重厚な塀で、西面のほぼ中央に木製の両開きの扉と、左脇に通用口を設けています。 主屋が建設された昭和12年頃の時期のもので、この地の住宅地形成期のたたずまいを今に伝えています。
この屋敷の主は、保守が大合同した自由民主党最初の内閣(1955年)の厚生大臣・小林英三。 昭和10年建築の軍人の家を戦中に疎開用として買取り、増築を経て今の形となりました。 ダイニングの部分は元の住居。 宮殿と洋間が昭和22年頃の増築です。 宮殿は40帖の広さがあり、当時から専用の厨房も設えてありました。 当時はホテルやホールなどの公共施設が少なく、政治家は、会合や催しを自分の家で開いたため大きな屋敷を必要としました。 なお、英三の会社には昭和天皇が行幸(昭和21年),当家には高松宮様がご来臨されています(昭和23年)。
当家は毛利家の家老の家柄で、広島県尾道で林を名乗っていました。 明治になり武家から商人に変わるとき、小林と改名しましたが、先祖代々の林を屋号に残し、林が2つの木であるところから「二木屋」を名乗り、缶詰食品業を創業。 味付けはカツ子(英三母)が担当しました。またカツ子は、料理研究家として講演や料理教室を行ない、百年前のカツ子のレシピを英三は大切にし、今でも当家に残ります。 二木屋とは百年の時を経て復興させた当家の屋号です。 また、明治の味をカツ子のレシピから再現するのが二木屋の次の仕事です。
小林英三(明治25年~昭和47年)・小林カツ子(文久2年~昭和10年)
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