秩父定峰山里の道
○定峰神社
社伝によれば、天正十一年武田信玄の家臣・島田左近大夫定峰村に土着帰農に際し、加賀総社白山神社の分霊を勧請、伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫命を本村字権現堂宮城の地に鎮座し・白山権現と称し・村の総鎮守とす。 境内に愛宕社・天神社・白鳥社・山神社を祀る。 明治四年村社に列せられ、明治四十年七月、高篠村中心地字七曲り無格社八坂神社に合祀し、さらに無格社・妙見社・稲荷社を合祀して定峰神社と改称す。
☆古くは権現様ともよばれ、安産を願う産泰講があった。
☆地名
山田:山の傍らに田畝
栃谷:栃の木が繁茂していた
黒谷:堆積した木葉などが腐蝕して黒い水となり流れ出した
定峰:磯田定延が転訛したとも、山腹を耕宅したので可太美弥→左陀美弥→定峰とも
高篠:高篠山とも、勘定高斯野宮とも、篠が繁茂したとも
神沢(寒沢・上沢):日本武尊が身そぎをした湧水跡
矢追・矢行地:日本武尊が武甲山頂から射た矢が落ちた所
陣場が平:日本武尊が陣を敷いた所
神場木・神萩:日本武尊が天祖天神を祀った
☆朝日長者と夕日長者
横瀬日向山に住むのが朝日長者・高篠村定峰に住むのが夕日長者(土蜘蛛長者)、どちらも大金持ちだがドケチ、丹生さま(水神さま)に供える団子、「どうせ食べるわけないのだから」と馬糞を供えた。 その夜から屋敷の上を黒雲が覆い続け・家には不幸が続き・使用人が去り、ついに屋敷は滅亡してしまった。
※下記の咄もある
毎春一族郎党に命じて蕨を採らるのが慣例だったが、ある年一日かかっても蕨が採りきれなかった。 そこで、沈み行く太陽を扇で招き・日の入りを遅らせ、蕨を採りきった。 しかしこれが神の怒りをかい、屋敷ごと大雨に流されてしまった。
☆平将門伝説
平将門の后妃が追手から身を隠したのが立石山岩窟(御前社)、大滝で自刃した九十九人の家来の血が流れたのが落川(九十九社)
☆七人塚
高斯野社が武田春信の兵火にかかり、往古恒持明神の御朱印を焼失たため、七人の別当が社に身を埋めた。(修験同士の勢力争いとも)
☆狐の田植
定峰に住む狐一族、毎年定峰権現堂の田植えを手伝ったといわれる。
☆栃谷の百々女鬼
白蛇が岩上にあらわれると、必ず雨が降る。
☆高篠山の長者屋敷
蕨が採れる高篠山、その半腹には広大な長者屋敷があった。 初代は非常なケチンボ・二代目は慈悲善行な徳望家で、大きく長者の家は栄え・その力は天をも動かすといわれた。 しかし三代目が先祖の威光を鼻にかけ傍若無人の振舞をしたので、村民そして天にも見放され、屋敷は消え・家族は消え、高篠山には蕨だけが残った。
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