むじな橋
☆八どんとむじな橋
八どんは、12・3才のころから小揚人足として引又河岸へ働きに出ていたが、ある日の午後、品物を配達しての帰り道「魚をおくれ」という声が何回もし、空車が心なしか重く感じたので、振りむくと荷車にむじなが乗っていた。 八どんは、そしらぬ顔で車を引き続けたが、小川に掛る土橋の上で梶棒を急に持ち上げ、むじなを小川に振り落とした。 家に帰り、そのことを母親に話すと「むじなもかわいそうに」といわれ、気になって翌朝土橋に行ってみたところ、むじなはケガをして息も絶えだえであった。 心を痛めた八どんは、翌日から土橋の下までむじなの餌を運び続けたのである。 こうして八どんとむじなが仲良しになった頃、山に置き去られていた5匹の子むじなが親むじなを探しあてて、親子で土橋の下に住むようになり、土橋はいつのまにか「むじな橋」と呼ばれるようになった。
☆腹切り場(上宗岡5丁目付近)
総合福祉センター裏手の旧堤防から下る土手道の傍らに、一基の無縁塔があるが、そこが腹切場といわれている。 天保十年七月二十四日、何者かが腹を切って自決した場所だという。 当人は宗岡村には縁もゆかりもない者だが、その死を哀れんだ村人達が、供養のためにと寂年を刻んだ無縁塔を建立したのだと伝えられる。
※無縁塔所在地が道路建設用地のため、無縁塔は平成26年8月に、この地から近い、三ツ木地蔵堂の敷地内に移設されました。
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