浄蓮寺
今から約七百年前当地の豪族大河原神冶太郎光興の草創光興は比企大学三郎能本と親善厚く、法華の妙理を談じ、後に帰依し法名を浄蓮と名乗る。 そして自分の邸内に、本化の道場を建立せんと(正応元年)、日蓮聖人の六老僧の一人、高祖日朗上人に法会を講じて、開山の件を志願、厚く法喜なし給い老師を関山とし、鎌倉妙本寺、池上長栄山の一字をとり、山号を「妙栄山」、光興の法名をとって浄蓮寺と賜る。 後に天正中に北条氏直の幕下、武州松山城主、上田朝直病理の当霊像に祈願するに感応著しく、病理平癒するを得たり、去るによって松山城主一遺族悉く改修して浄蓮寺の檀越となる。
北条家の制札、上田氏の免状及び累世の墓碑等今尚在せり。 然るに天正十九年忝くも徳川家より寺領20石と境内不入寄進の御朱印を賜り、別して天下泰平武運長久を祈り奉る。
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