面影橋・おもかげ橋
神田川のさまざまな名橋の中でも特に有名な橋で、曲名にもよく使われる江戸時代からの名所。 かつては「姿見の橋」と呼ばれていたという説もある。 橋の近くには、室町時代の武将・太田道灌の伝説に基づき、「山吹の里」の碑が立つ。
☆高田姿見のはし俤の橋砂利場
面影橋と姿見橋があり、面影橋北側は砂利が採れたので砂利場村とよばれた。
☆面影橋
明応年間武蔵国高田の里に都を追われた武士とおぼしき一家が住みついた。 その娘は於戸姫とよばれ、その美しさ故に縁談も多く・断り続けた父親はついには殺されてしまった。 やがて於戸姫は武士と結婚したが、夫も斬り殺されてしまい、ついには於戸姫は橋の上から身を投げた。 そして、母も娘の面影を求めて橋の周りをさまようようになった。
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