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岸飛行場跡

Akabanehikouki1c ☆岸飛行場(赤羽飛行機製作所)
 東京都北区、旧志茂1南部~神谷北部~赤羽南部 一帯(詳細不明)

 大正五年築地明石町岸一太が試作機を飛ばそうと開設、風洞から電気溶鋼炉まで併設、陸軍にアルマン六型機四機納入するも数年で閉鎖。

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Akabanehikouki2

Kitaku_kishi1

横線540透明

Akabane_tsurugi1第一つるぎ号

横線540透明

Akabane_tsurugi2第二つるぎ号

横線540透明

Akabane_tsurugi3a第三つるぎ号

横線540透明

Akabane_tsurugi3b第三つるぎ号

横線540透明

Akabane_tsurugi5第五つるぎ号

Kitaku_kishi9

横線540

☆赤羽飛行機製作所・岸飛行場
 岸一太(明治七年岡山御津郡大野村生)が築地明石町に耳鼻咽喉科開業、大正六年工業界に転身した。 大正三年ガソリンエンジン研究開始、大正四年明石町に富山工業所開設、大正四年十二月モーリスファルマン1913年型機実地試験、つるぎ号と名付け・大正六年七月二日飛行に成功した。 その後、第六つるぎ号(大正七年陸軍に四機納入)まで開発が続いた。

 大正六年十二月一日赤羽飛行機製作所創業、岩淵町神谷の荒川沿岸五万坪(計画)の用地に製鉄所・鉄工所・木工所・格納庫・溶解炉工場・材料庫・塗装室・乾燥室・研究用風洞・飛行場などを整備し、一貫して製造できる飛行機工場となった。

 大正八年自動車の研究開始・飛行学校開校するも、つるぎ号は旧式となり販路縮小・過剰な設備投資により資金繰り悪化し、大正十年赤羽飛行機製作所閉鎖。 跡地は「飛行機が原」とよばれた。
 
※岸飛行場跡は、旧志茂1南部~神谷北部~赤羽南部一帯ともいわれるが、不明な点も多い。
※つるぎ号のルノー式V型70馬力エンジン製作のため、劔岳池ノ平周辺にモリブブン鉱山を開発した。
※中島知久平が参考にしたといわれる。

Iwabuchimap1

Iwabuchimap2

コメント

赤羽飛行場の敷地図面を都公文書館で発見し、その他発見した新情報を基に飛鳥山博物館の研究報告23号に『赤羽飛行機製作所飛行場に関する一考察 ―新資料によく解明― 』として報告しました。ご興味あればご笑読ください。ご質問があればメールにて ご連絡下さい。本間

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