埼玉伝説 メモ
埼玉県伝説集成(主に県南版)
○馬蹄寺、上尾市平方・馬蹄寺
吾妻左衛門是好の叔父三輪荘司が死んで馬に生まれ変わった、といわれる。
○片目の氏神、上尾市平方・
氏子の目は片方が小さいとか…
○平方のお獅子、上尾市平方・
伊草村の獅子頭が大水で上尾平方に流れ着いた。
○疱瘡石、朝霞市岡・東円寺
疱瘡に罹ったら枕元にこの石を置くと治る。
○弘法大師掘抜の滝、朝霞市岡・東丹寺付近
弘法大師が杖で突くと水か湧き出した。
○片目の魚、朝霞市岡・広沢の池
○血の出る杉、朝霞市根岸流山・高野家
伐ると血が出る杉の木があった。
○手櫃渕、荒川村日野・
木こりが渕に落としたヨキ、渕の中には竜宮、土産は何でも出てくる糸巻だった。
○鳩の湯、荒川村日野・
熊倉城主長尾意玄家臣が鳩の浴するのをみて発見した、といわれる。
○廻渕のクモ、荒川村日野・
○大血川、大滝村大血川・
平将門伝説
○桔梗塚、大滝村大血川・
将門の愛妾桔梗の前の墓といわれる。
○九十九塚、大滝村大血川・
平将門家来(あるいは妃とも)九十九人の塚とも…
○弘法大師爪彫の磨崖仏、小鹿野町飯田・鷲窟観音院・岩殿観音
秩父札場三十一番
○立石、小鹿野町下小鹿野・
○火の雨塚、小鹿野町下小鹿野・
○信濃石、小鹿野町信濃石・
岩の穴に耳をあてると人の声が聞こえる。 小石が成長して岩になった。
○河童証文の清水、小鹿野町下小鹿野・嘉右衛門渕
嘉右衛門が河童を退治した。
○きかず坊様、小鹿野町三山・
諸国巡礼の僧が生入定した。 耳の病に霊験あり、お願生果しは箸沢山。
○弘法の水、小鹿野町三山・
弘法さまの一杯水、もある。
○子どもの好きな薬師様、小鹿野町三山・
○夜泣き石、小鹿野町三山・
○弘法井、岡部町本郷・明星院
○背負ってきた神体、小川町奈良梨・諏訪神社
○穴八幡、小川町増尾・穴八幡古墳
江戸吉原遊郭遊女の信仰をあつめた。
※小川町~越生には、遊女伝説が多い
○明星の井、桶川市倉田・明星院
○力石、桶川市寿・稲荷神社
二百貫くらいあるらしい。
○竜穏寺と竜、越生町・竜穏寺
○越上山、越生町・
雨乞伝説
○弘法山、越生町・
弘法大師百谷伝説、九十九谷しかなかったので寺建立中止、代わって岩殿山を開いた。
○渋沢平九郎塚、越生町越生・法穏寺
○墓石、越生町黒岩・
狼がお産をする地、見つけた杣人は三峰神社に連絡のこと。
○熊野神社と成田不動との争い、越生町黒山・熊野神社
○大カミ岩、越生町黒山・
狼がお産をする処。
○宗ヶ入、越生町黒山・
平将門伝説
○オオヅク城、越生町麦藁・都幾川村西平・椚平・
吾那左エ衛門尉憲光築、太田道灌父道真が小杉城を構えるに攻防戦に巻き込まれた。
※城山・大築山・大津久、ともよばれた
○駒繋石、神川村・金鑚神社
八幡太郎義家が馬を繋いだ。
○旗掛杉、神川村・金鑚神社
八幡太郎義家が旗を掛けた。
○源義家旗立銀杏、神川村・金鑚神社
源義家が幟を掛けた。
○猪をたべぬ話、神川村・神川村金鑚
○若宮神社と金鑚神社の争い、神川村・児玉町宮内と神川村
児玉町宮内若宮明神・神川村金鑚神社
○舟山、川口市・安行舟山
舟の形をした山が二つあった。
○鐘沼、川口市・樋爪・薬林寺
鐘沼に鐘が沈んだ。
○漆千杯朱千杯、川口市・鳩ヶ谷辻
朝日さし夕日さす所、□□の下に漆千杯朱千杯
○灰ノ木、川口市赤井・
塚上にて弘法大師が護摩を修したといわれる。
○いぼとり地蔵、川口市伊刈風間・地蔵堂
○女郎仏、川口市石神・妙延寺
病に倒れた遊女を祀ったといわれる。
※上臈だったとの説がある
○姥神、川口市石神・
やきもちやきの神様でもある。
※稚児桜と姥が池
※姥神とは神の母・叔母の意、子を愛する神。
○銭橋、川口市上青木・
徳川家康御放鷹のおり、畦道が崩れるので村人が銭を集めて橋を築いた。
○疣地蔵、川口市源左衛門新田・
首なし地蔵
○田植地蔵、川口市神戸・
無住寺である宝泉寺の小坊主が田植えを手伝った、といわれる。
○三股竹、川口市芝・
三股の竹が生えていた。
※日本伝説・北武蔵の巻
○片目の魚、川口市慈林・慈林寺薬師堂
竜燈の池
○稚桜、川口市西新井宿・
○駒ヶ塚、川口市西新井宿・
児が落馬して死んだといわれる。
○姥ヶ池、川口市西新井宿・
○瘧地蔵、川口市蓮沼・
バサラ塚・から塚
○八百比丘尼の船繋松、川口市東貝塚・
水辺を伝わって来る神を迎えるのが舟繋松、この神が山々にでかければやはりそこには舟繋松が待っている。
○身代観音、川口市前川・前川観音
千手観音
○六代禅師首塚、川口市前川・前川神社西北
○八百比丘尼の住んだ比丘尼町、川口市前野宿・鳩ヶ谷・比丘尼
○古荒川出現の薬師、川口市南平柳・光音寺
古荒川動木堂淵かに見つかった薬師。
○八百比丘尼の植えた銀杏、川口市峯・峰八幡宮傍
○子安観音由来、川口市柳崎・観音院
○竜ヶ渕、川口市柳崎・
大蛇が棲んでいたらしい。
○お化け杉、川越市・喜多院
切血の杉
○喜多院の龍、川越市・喜多院
○喜多院本堂下の穴、川越市・喜多院
二疋の大蛇を閉じこめた穴らしい…
○僧に化けた狸、川越市・喜多院
喜多院大師堂床下の穴は狸穴ともいわれ、狸が行に励んだといわれる。
○泥棒橋、川越市・喜多院
この橋を渡り喜多院に逃げ入ると捕まらない、といわれた。
○入定塚、川越市・喜多院
仙芳真人入定塚
○明星の井、川越市・喜多院
尊海僧正来訪のおり、明星が井の中から現れた。
○喜多院と中院、川越市・喜多院と中院
家康鷹狩りのおり宿を求めたが、中院はそのみすぼらしさに断り・喜多院は心よく泊めた、といわれる。
○民部稲荷、川越市・黒門・三位稲荷
角力稲荷
○家光駒繋の椎、川越市・三芳野神社
○太田道灌旗立杉、川越市・三芳野神社
初雁杉、腰掛松ともよばれた。
○乳母観音、川越市坂下・長松院
○乳母ヶ池、川越市仙波・
太田道灌の姫「世称姫」が人身御供となり、乳母が身を投げた。
○児喰の弥陀、川島町表・広徳寺
子守の老母が泣く子に「阿弥陀様に喰わせるぞ」と脅したら、阿弥陀様が子供を食べてしまった。
○大聖寺の土玉、川島町伊草宿・大聖寺
毎日犬が運んできた土玉、その中には古銭。
○きかずの薬師、川島町下八ツ橋・
耳の病に霊験あり、穴あき石に糸を通し・つるして・あげるべし。
○夜荒らしの龍、川島町中山・金剛寺
位牌堂天井画の龍、夜な夜な抜け出し田畑を荒らした。
○畠山重忠産湯井戸、川本村・
○畠山重忠の投げ石、川本村畠山・
○爪の弥陀、騎西町根小屋・金剛院
弘法大師が爪で彫ったのが爪の弥陀。
○綱引松、行田市忍・忍城
忍城水攻めのさい、綱索を結び・土地をかさ上げして見せた。
○縁切橋、行田市忍・城西町
○血のでる杉、行田市忍・諏訪神社周辺
○疣地蔵、行田市忍・大長寺山門外
※他にもあり
○妻薬師、行田市忍・遍照院薬師堂
眼病に霊験あり。
○涙橋、行田市忍・矢場町
○船繋松、行田市忍・
○片目の魚、行田市埼玉・小崎の沼
イナゴもカエルも片目だと…
○乾魚をたべぬ話、行田市埼玉・前玉神社
神体が乾魚に乗って出生されたといわれる。
○秀衝駒繋松、行田市下忍・遍照院門前
○里芋を作らぬ話、行田市谷郷・
○線香地蔵、行田市長野・東行寺門前
線香の灰を魚の目につけると消える。
○ガッカラ薬師、行田市長野・我空堂
どこからともなくガッカラと臼をひく音が聞こえた。 弘法大師が祀ったのが「薬水の井」。
○琵琶橋 、行田市持田・正覚寺
○萎竹、行田市若小玉・しなび竹
弘法大師が杖竹を所望したところ、百姓は「山の竹はみな萎びている」と断った。 そしては、山の竹は本当に萎てしまった。
○ネギを作らぬ話、久喜市久喜本・
岡田家由来
○山王権現、鴻巣市三ッ木・山王権現社
大欅のウロに反対向きの猿像、腰の下の病に霊験あり。 願掛けは紅を塗り、お願生果たしは絵馬括猿幟。 ☆たとひ貞烈の婦女といふとも、赤面せざるはあるべからず
○オイテケ堀、越谷市・内池
久伊豆神社と八坂神社の中間付近
○乳の出る杉、越谷市四町野・久伊豆神社
○疣稲荷、越谷市四町野・
社裏の古木にさわり・その手で疣に触れると、イボが無くなる。 お願生果しは油揚げ。
○疣地蔵、越谷市大沢・
○一本松、越谷市大泊・安国寺
太田道灌の杖が根付いた。
○金塚、越谷市大泊・
軍用金を鎌倉に運ぶ船が沈没した、今も沈んだままらしい… 敗武者の鎧・刀・槍を埋めたともいわれる。
○念仏橋、越谷市大泊・
安国寺二十五世善上人が、この橋を渡るときは必ず念仏を唱えた。
○異変をおこす龍、越谷市蒲生・清蔵院
門下を棺が通ると軽くなるといわれ嫌がられたので、釘付けにされた。
○塩地蔵、越谷市川崎・聖徳寺
塩吹地蔵
○家康駒止め槇、越谷市増林・
徳川家康が口をすすぎ・手をあらったのが「権現井戸」。
○御座の松、越谷市西方・大聖寺
○笈が重くなった不動、越谷市西方・大聖寺
大相模不動
○片目の魚、越谷市野島・浄山寺
延命地蔵尊
○子育地蔵、越谷市野島・浄山寺
※大鰐口がある
○出あるく地蔵、越谷市野島・浄山寺 片目地蔵
坊さんの姿に変え・錫杖をうち振り、毎朝檀家を廻り「起きろ・働け」とふれ回っていたが、あるとき茶の木に躓いて片目を傷つけてしまった。 片目地蔵ともよばれる。
○スマツカラの地蔵、越谷市花田・
地蔵を舟で運ぶ途中動かなくなった。
○本荒川出現の弁財天、越谷市増森新田・身正寺
○片葉の葦、さいたま市・岩槻・慈恩寺
○片目の魚、さいたま市・岩槻・慈恩寺
○力石、さいたま市・岩槻・竜門寺
○太田道灌箸立杉、さいたま市・岩槻太田
○箸立杉、さいたま市・岩槻太田
岩槻城旧本丸入口の杉、太田道灌が挿した箸が根付いた。
○本荒川出現の第六天、さいたま市・岩槻大戸
○天狗の昼寝をした杉、さいたま市・岩槻大戸・第六天神社
○八百比丘尼の植えた椿、さいたま市・岩槻黒谷
○八百比丘尼の住んだ家、さいたま市・岩槻黒谷
○衣掛松、さいたま市・岩槻城跡
太田道灌が岩槻城を築いたときに植えた松。
○物見松、さいたま市・岩槻城址
○辻八幡神社と久伊豆神社の争い、さいたま市・岩槻辻
○鏡ヶ池、さいたま市・岩槻長宮・大光寺
弁慶が水鏡をみたといわれる。 岸には楊枝柳。
○お伺い地蔵、さいたま市・岩槻野島
地蔵を持ち上げて、軽いと感じたら念願成就・重いと感じたら不成就。
○見沼の竜神、さいたま市・浦和
○竜神雨乞、さいたま市・浦和・別所沼
別所沼には大蛇が棲んでいたらしい…
○明神社と成田不動の争い、さいたま市・浦和井沼方
平将門を祀るといわれる。
○毛芋、さいたま市・浦和大久保
弘法大師が毛芋を所望したが断ったので、この地の毛芋はにがくて食べられなくなった。
○蕎麦を作らぬ話、さいたま市・浦和大久保
榎本家由来
○木傘明神社、さいたま市・浦和大崎・木傘神社
日本武尊東夷征伐のおり、大木の下で暴雹にあい・除氷を祈願した。
○異変をおこす龍、さいたま市・浦和大崎・国昌寺
開かずの門、山門の龍は見沼が氾濫すると、抜けだし・湖面をのたうちまわった。
○蓮を作らぬ話、さいたま市・浦和尾間木
見沼の主が蓮の切り口で目を突いた。
○荒川出現の阿弥陀仏、さいたま市・浦和神田
永福寺
○葭竹、さいたま市・浦和神田葭竹
弁天社、在原業平の筆が根付いた。
○兎を飼わない話、さいたま市・浦和岸町
調神社由来
○片目の魚、さいたま市・浦和岸町・調神社
御手洗の池
○弥陀の神水、さいたま市・浦和駒場・吉祥寺
耳の病に験あり
○経塚、さいたま市・浦和駒場・蓮昌寺
二階堂資朝が法華経三千巻を写経し・石函に納め・客殿裏山に埋めた。
※市内に経塚が多数
○八百比丘尼の植えた大欅、さいたま市・浦和市大久保
山王社
○狐橋、さいたま市・浦和下大久保
通禅寺付近に狐が棲んでいた。
○入定塚(行人塚)、さいたま市・浦和下大久保道ヶ谷戸
康元元年四月八日、道安(鷺坂三重良藤原利貞)が生入定したといわれる。
○念仏橋、さいたま市・浦和下新田
○オシャビキ様、さいたま市・浦和白幡
持っている三角形はおにぎり、賽銭箱は無かった。
※子どもが賽銭を持っていくのを見て喜んでいたといわれる。
○逆銀杏、さいたま市・浦和白幡・医王寺
舟をつなぐ銀杏の杭が根付いた。
○力石、さいたま市・浦和白幡・医王寺
○コブシが沼、さいたま市・浦和白幡・白幡沼
ダイダラボッチが転んで握り拳をついた跡。
○モロコシを作らぬ話、さいたま市・浦和神田
小島家伝説
○傘松、さいたま市・浦和関・東福寺
○太田窪、さいたま市・浦和太田窪
ダイダラボッチ伝説による地名といわれる。
○釘付の竜、さいたま市・浦和大門・愛宕神社
大門神社境内の愛宕神社拝殿の竜、彫刻の竜に釘を打ち込み・裏池に出る雄雌の竜を閉じこめた。
○竪川出現の薬師、さいたま市・浦和代山
○荒川出現の如来、さいたま市・浦和田島・光西坊
おこり様
○兜塚、さいたま市・浦和辻
○咳婆さん、さいたま市・浦和辻
○荒川出現の正観音、さいたま市・浦和道場
金剛寺
○争いモミの木、さいたま市・浦和常盤
慈恵稲荷境内の樅と成就院大門の樅、往来する人には一本の木に見えた。
○日蓮火伏せの大黒柱、さいたま市・浦和常盤・田口家
日蓮が調神社の欅に駒を繋ぎ・青山家妻女の難産を救ったさい、田口家に泊まったとされる。
○上の宮と下の宮の争い、さいたま市・浦和西堀・田島
田島の氷川様と西堀の氷川様は姉妹ながら仲が悪かった。
○欅の神水、さいたま市・浦和西堀・薬師堂
眼の病に験あり
○逆柊、さいたま市・浦和西堀日向
逆柊稲荷社、舟をつなぐ柊の杭が根付いた。
○いぼ地蔵、さいたま市・浦和沼影・観音堂
○広田寺観世音縁起、さいたま市・浦和沼影・細淵家
○蛇塚、さいたま市・浦和針ヶ谷
○逆銀杏、さいたま市・浦和別所・真福寺
舟をつなぐ銀杏の杭が根付いた。
○片目の魚、さいたま市・浦和三室・女躰神社
○片目神、さいたま市・浦和三室・女躰氷川社
○龍燈杉、さいたま市・浦和三室・女躰氷川社
杉の木に龍燈があがる
○巫子田、さいたま市・浦和宿
荒川堤が決壊したさい、修築に巫子が人身御供となった。
○蕎麦を作らぬ話、さいたま市・大久保領家
○小豆婆、さいたま市・大宮
吉敷町安藤橋と、西光院西の道に、目撃情報。
○カッパの妙薬、さいたま市・大宮
片腕を切り落とされた見沼のカッパが伝えたのが「カッパの膏薬」。
○涙橋、さいたま市・大宮
高台橋に刑場があったころ、中橋で罪人を見送り別れた。
※中山道沿いに「涙橋の碑」
○日本武尊腰掛松、さいたま市・大宮浅間
氷川神社に詣でたおり腰掛けて休んだらしい。 他説もある。
○徳川家康腰掛松、さいたま市・大宮飯田新田・西光院
○首無し地蔵、さいたま市・大宮上小町
喧嘩地蔵
○ビャクニン松、さいたま市・大宮植竹
八百姫大明神
○来迎松、さいたま市・大宮大谷別所・長福寺
阿弥陀堂前に岡部六弥太手植えの松があったる
○化粧堀、さいたま市・大宮大谷
○蛍の御殿、さいたま市・大宮大和田
娘小笛の笛にあわせて、古井戸で蛍が舞った。
○龍燈松、さいたま市・大宮片柳・万年寺
龍神が境内松の頂に燈を高くかかげたらしい。
○瘤地蔵、さいたま市・大宮片柳・万年寺
お願生果しは団子山盛り。
○八百比丘尼の住居跡、さいたま市・大宮北原
八百姫大明神
○素戔嗚尊腰掛松、さいたま市・大宮櫛引
○八百比丘尼尼塚、さいたま市・大宮櫛引
農業機械化研究所
○八百比丘尼の植えた槻、さいたま市・大宮櫛引
櫛引観音堂
○金山神社と氷川神社の争い、さいたま市・大宮佐知川・高鼻
松飾りをすると火事になる。
○相生杉、さいたま市・大宮上内野
氷川神社本殿裏にあった。
○片葉の葦、さいたま市・大宮側ヶ谷戸・丸ヶ崎
○八百比丘尼の安養所、さいたま市・大宮染谷
安養寺
○いたずら禅師像、さいたま市・大宮大成・普門院
「月江正文禅師頂相」、イタズラ好きだったらしい。
○月江和尚の木像、さいたま市・大宮大成・普門院
盗賊から村民を助けた際に傷を負った、月江和尚命日には血がにじみ出るらしい。
○つぶて仏、さいたま市・大宮高木・法行寺
妙陽の怨霊が、僧に向かって投げた石つぶてを木像が受けとめた。 小堂が残っているらしい。
○蕎麦を作らぬ話、さいたま市・大宮高鼻
榎本家由来
○大宮氷川神社と小敷谷氷川神社の争い、さいたま市・大宮高鼻と上尾市小敷谷
○大宮氷川神社と平方氷川神社の争い、さいたま市・大宮高鼻と上尾市平方
○大宮氷川神社と老袋氷川神社の争い、さいたま市・大宮高鼻と川越老袋
○土呂の大杉、さいたま市・大宮土呂・明神社
源義経の箸が根付いた。
○三貫清水、さいたま市・大宮奈良瀬戸
この清水でたてたお茶、太田道灌が美味いと三貫文を茶代に差し出した。
○なんじゃもんじゃ、さいたま市・大宮日進・金剛院
三橋・大倭神社西隣にもあった。
○膝子塚、さいたま市・大宮膝子
農夫婦に生まれた赤子が手足無く・膝のようだった、といわれる。
○膳洗渕、さいたま市・大宮深作
○トラコ石、さいたま市・大宮深作
虎小石伝説
○十六塚、さいたま市・大宮別所・福正寺
○黒塚の鬼婆、さいたま市・大宮堀之内
足立ヶ原に棲む鬼婆を、東光坊祐慶阿闍梨が鎮めたらしい。
○生入定、さいたま市・大宮丸ヶ崎
○八百比丘尼の植えた榎、さいたま市・大宮水判土
慈眼寺
○八百比丘尼の守護仏、さいたま市・大宮水判土
慈眼寺地蔵堂・寿地蔵
○相生杉、さいたま市・大宮三橋・大倭神社
○猫塚、さいたま市・大宮三橋五
老夫婦が飼っていた猫、夜になると猫たち熊谷堤に集まり踊っていた。
※猫が踊るときは手拭いをかぶる、といわれる。
○お女郎地蔵、さいたま市・大宮宿
女郎屋の千鳥、泥棒の神道徳治郎の妻となるのを嫌い・高台橋から身を投げた。
○塩地蔵、さいたま市・大宮吉敷町
大宮宿に来た浪人の娘二人が、父の病全快を祈り・塩断ちした。
○片目の金山様、さいたま市・大宮吉野
祭神金山彦命が繭玉をさした小枝で目を突いた。
○美女と小箱、さいたま市・下山口新田・厳島神社
山口弁天
○天狗隠し、さいたま市・与野
榛名神社に天狗面を奉納した。
○夜泣稲荷、さいたま市・与野
○水のみ龍、さいたま市・与野・長伝寺
本堂欄間の龍、夜な夜な近くの小川に水を飲みに抜け出した。
○化け地蔵、さいたま市・与野・東明院
もといた赤山街道表通りが懐かしくて夜な夜な抜け出した、といわれる。
○黄金塚(高金塚)、さいたま市・与野大戸・円納寺跡
足利利高金を葬った塚、黄金の鎧が埋まっているとか。
○一つ目入道、さいたま市・与野上峰・諏訪坂
諏訪坂で一つ目入道に襲われたらしい…
○傘松、さいたま市・与野上峰・諏訪社
○海中出現の釈迦、さいたま市・与野上峰・円福寺
品川の海中で見つかったとされる。
○送り地蔵、さいたま市・与野小村田
在林寺の地蔵が提灯を持って道案内したといわれる。
○琵琶橋、さいたま市・与野中里
○弘法清水、さいたま市・与野中里・二度栗山
弘法大師が杖で突くと水か湧き出した。
○手無し不動、さいたま市・岩槻渋江・竜門寺
○弁与上人様、坂戸町戸宮・
光円寺住職妙窮が生入定した、耳の病に験あり。
○巡礼堤、幸手町・権現堂
旧権現堂川堤が決壊したさい、巡礼母娘が人身御供となった。
○ダイダラボッチの丘、狭山市芋窪・
ダイダラボッチ伝説
○ダイダラボッチの足跡、狭山市柏原・
ダイダラボッチ伝説
○堀兼の井、狭山市堀兼・七廻の井
日本武尊が掘った井戸、枕草子にでてくる「ほりかねの井」。
○河童の詫証文、志木市柏・宝憧寺
イタズラ河童が宝憧寺の地蔵様に説教されたらしい。
○遊び地蔵、志木市柏・宝幢寺
宮戸の花嫁にチョッカイをだしたといわれる。 ただし、秘仏であり地蔵の姿を見た者はいない。
○チョッピリラン、志木市柏・長勝院
長勝院に現れた狸。
○田面長者、志木市柏・長勝院
郡司長勝の館があった。 長勝は「頭無し沼」に棲む大蛇を退治し・田を開いたので、「田の面長者」とよばれた。
○村山稲荷、志木市引又・
○片目の魚、志木市宗岡・
片目のウナギ
○泣虫稲荷、志木市宗岡・
夜泣きをとめるには泥団子を供える。お願生果しは粉団子。
○子ども好きのお稲荷様、志木市宗岡蓮田・羽根倉浅間神社
蓮田のお稲荷様
○膳椀沼、庄和町飯沼・
源義家椀貸伝説
○大松、庄和町西宝珠花・
静御前の杖が根付いた。
○西行見返の松、杉戸町下高野・東大寺
○づらっぽうさま、杉戸町並塚・中央神社裏
づらっぽうさまが生入定したといわれる。
○鰻をたべぬ話、草加市・
福一満虚空蔵信仰由来
○イボ地蔵、草加市青柳・藤波家
○背負って来た十王像、草加市柿ノ木・
諸仏を背負った豊田四郎親房、大雷が鳴ったおかげで落ち延びることができた。
○長泉寺の狸、草加市柿の木・長泉寺
○北向の女躰社、草加市柿の木・
筑波女躰社を信仰していた豊田四郎親房が、筑波山の方向に向けて建立した。
○背負って来た薬師、草加市柿の木・
笈重り仏
○狐に化かされた医師、草加市草加・
○仲のいい神様、草加市新里・毛長神社
毛長神社祭神と舎人諏訪神社祭神は仲が良い、夫婦神の噂もある。 仲が良すぎるため、両社の間を通る花嫁行列は破談とする。
○ムジナ大尽、草加市新里・
吉岡家に伝わるムジナが棲んでいた欅。
○毛長神社、草加市新里・毛長神社
御神体は髪の毛
○太田道灌身代薬師、草加市新里・徳性寺
○天狗のたたり、草加市柳島・お化店
柳島は天狗が保護
○狐塚、秩父市下影森神原・
○狐塚、秩父市横瀬・
○勝負平、都幾川村大野・勝負平
平将門と藤原秀郷が一騎打ちした。
○一つ眼、都幾川村大野・
妖怪「一つ眼」が辻にて方向を失い・まごまごして・めぐり廻っているところを捕まえたらしい…
○送り狼、都幾川村椚平・
定峰周辺には、送り狼の話が多い。
○姥樫、都幾川村椚平・
○鞍渕、都幾川村椚平・
大築山城人が誤って渕に落ちてからは、毎年鞍が浮かび上がる…
○硯水、都幾川村椚平・
大津久城
○鞍渕、都幾川村西平・泉川
畠山重忠の水垢離をとった処とされる。
○山王様の石、都幾川村西平・山王社
小石が成長した。
○鐘ヶ渕、都幾川村西平・慈光寺
羊太夫の大般若を誦むと、鐘ヶ岡の見えざる鐘が鳴り出した。
○児喰仁王、都幾川村西平・慈光寺
○七木、都幾川村西平・慈光寺
天狗杉・八重桜・立帰り柳・椎樫・五葉松・大柏・一本樅
○夜荒らしの馬、都幾川村西平・慈光寺
観音堂の馬、夜な夜な抜け出し畑を荒らすので、鎖で繋がれてしまった。
○子持杉、都幾川村西平・萩日吉神社
男杉と女杉
○神木の御神水、都幾川村西平・萩日吉神社
○天狗杉、都幾川村西平・萩日吉神社
○股洗い、都幾川村西平・マターラ
ダイダラボッチ伝説
○多武峰の天狗、都幾川村西平・多武峰
○拝塚、都幾川村西平・
西行法師が、観音化身の小僧との問答に負け引き返したといわれる。
○西行見返桜、都幾川村西平・
西行が桜の枝を地に挿したものが根付いた。
○猿石、都幾川村西平・
慈光寺七石の一つ
○重忠の馬の足跡、都幾川村西平・
重忠が飛び越えようとして、誤って馬が落ちた。
○慈光七石、都幾川村西平・
信濃石・琵琶石・男鹿石・女鹿石・冥官石・童子石・冠石。
※他の呼び名あり
○多武峰の天狗、都幾川村西平・
夜に天狗がホウズキ提灯をつけたため、辺り一帯が明るくなった。
○比丘尼塚、都幾川村西平・
慈光寺開山広彗(丹仁)の母、比丘尼になり丹仁を尋ねたが、山中で病に倒れた。
○目なし地蔵、都幾川村西平・
○矢篠、都幾川村西平・
畠山重忠が放った矢が根付いた。
○龍宮の穴、都幾川村西平・
椀貸伝説
○椋の御神水、都幾川村桃の木・妙覚寺
○椿峯、所沢市・北野と山口御国
新田義貞が、使った椿の箸を地に挿したのが椿の木となった。
○狸寺、所沢市・新光寺
「アチチの新光寺・二度と来まい新光寺」といって狸が逃げ出したらしい。
○蜻蛉の宿生木、所沢市・日月社
無理殿の命で蜻蛉を捕まえた家来達、しかし匹数が足らず・怒った殿が潰し投げつけると御神木の寄生木となり、殿唖となった。
○鼠薬師、所沢市・薬王寺
新田義宗死後、武蔵野の野中で鼠が増えて農家を荒らした。 村民は新田家の祟りと恐れ、薬王寺薬師に願掛をした。
○在原業平笠掛松、所沢市・
○勘七猫塚、所沢市・
博打打勘七の女房およし、子猫を助けると労咳が治った。 ように見えたが実は、猫がおよしに化けて尽くしていた。
○首無し地蔵、所沢市・
○桜ヶ渕、所沢市・
淵から毎夜「ねんねんようねんねんよう」と子守歌が聞こえる…
○竹ヶ渕、所沢市・
瞽女お竹が溺死し、頭は女・体は蛇と化し・淵の主となり、多くの人命を奪った。
○福猫塚、所沢市・
和泉屋に迷い込んだ猫、福猫との評判で店は大繁盛、屋号も「福泉」と改めた。 その後も、福泉等吉・紺屋(紺辰)・質屋・雑穀問屋、など益々繁昌した。
○三ッ井戸、所沢市上新井・三ッ井戸
弘法大師が杖で突くと水か湧き出した。
○なんじゃもんじゃ、所沢市上新井・
○菩提樹、所沢市上山口・
弘法大師の杖が根付いた。
○御手洗の井、所沢市北野・北野神社
一人の老翁が杖で突くと水が湧き出した。
○誓詞ヶ橋、所沢市北野・白幡塚
元弘の乱で新田義貞軍兵が忠誠を誓ったといわれるが、多説ある。
○ダイダラボッチの池、所沢市北野・
ダイダラボッチ伝説
○十人坂、所沢市久米・永源寺近傍
十人の武士が割腹した地。
○河童の詫証文、所沢市久米・字明院
久米曼陀羅の河童は、川島町伊草の袈裟坊と狭山笹井の竹坊と兄弟分だった。
○血吹石、所沢市久米・水天宮社
○シャビキ様、所沢市久米・長久寺
咳の神
○新田義貞兜掛松、所沢市久米・鳩峯八幡社
○河童の伊勢詣り、所沢市久米・
川越にも同様の話がある。
○天明の石、所沢市小手指・弁天池
からと石伝説
○血のでる松、所沢市城・
戦死者を葬った塚
○瞽女ヶ渕、所沢市新秋津・
○霧吹きの井戸、所沢市滝・
○葦毛ヶ渕、所沢市林西の原・
葦毛の馬に追われた少女が淵辺の木に登ると、馬は池に映った少女を見て飛び込んだ。
○蛇崩れ、所沢市堀之内・
蛇が岬を崩したといわれる。
○片目の魚、所沢市三ヶ島堀之内・
片目のドジョウ
○逆椿、所沢市山口・
新田義貞が、使った椿の箸を地に挿したのが椿の木となった。
○車返し弥陀、所沢市山口堀の内・来迎寺
奥州藤原秀衝の守護仏を鎌倉に移す途中、車坂村にて動かなくなった。 行脚の弥陀ともいわれる
○児池、所沢市山口堀の内・山口
○河童のネネさん、戸田市内谷・道満河岸
ネネが渕にはカッパが棲んでいた。
○榎の御神水、戸田市上戸田・羽黒権現社
神社合祀によの上戸田氷川社に移されたが消滅した。
○カッパの金さん、戸田市下笹目・
鐘ヶ渕・ケサの渕・オケサの渕、などにはカッパが棲んでいた。
○牛の生き仏、戸田市下戸田・常福寺
常福寺の生き仏が伊勢で牛に生まれかわった。
○入定塚、戸田市曲本・
○ひじりがま、戸田市笹目・最勝寺
沼の底からゴーンゴーンと音が響く、沼の水を抜くと釣鐘が現れた。
○日本武尊腰掛石、長瀞町・宝登神社裏山
○泥足の弥陀、長瀞町野上下郷・
道信が忘れた訴状を届けたといわれる。
○四十八沼、長瀞町藤谷渕・
旧河川名残、古くは深い渕だった。
○鎧沼、長瀞町藤谷渕・
四十八沼の一つ、盆踊り唄に「鎧の沼から乙姫さまが…」とあるらしい。
○ビンダレ(鬢垂)、長瀞町矢那瀬・波久礼橋
重忠が髪を櫛けずったといわれる。
○竜の山引き、名栗村上名栗穴沢・山崩れ遭難の碑
竜が山崩れを起こしたといわれる。
○小栗判官駒繋松、新座市大和田・馬頭観音
○北向の八幡社、新座市野寺・
○業平塚、新座市野火止・平林寺
息をせずに三廻りすると美女に会える…
○九十九塚、新座市野火止・平林寺野火止塚
○稚児ヶ渕、新座市安才・野寺・
○みみだれ観音、蓮田市高虫・妙薬寺
願掛けは竹筒に水を入れ供える、お願生果しは竹筒それぞれににお酒と水。
○寅御石、蓮田市馬込辻・
美女お寅、求婚者が多く悩み抜いた末、死んで我が身を食べさせた。
○子授けの石、飯能市双柳・秀常時
腰掛けると子供が授かる。
○車返し、飯能市本郷・
畠山重忠の墓
○子の権現社、飯能市南・
○なんじゃもんじゃの木、飯能市山手・飯能第一小学校
○粥新田峠、東秩父村・
ダイダラボッチが昼のお粥を食べた地、使った箸は二本木峠、使った釜を伏せたのが釜伏山、腰掛けたのが定峰峠。
○二本木峠、東秩父村・
日本武尊が挿した箸が根付いた。
○長者屋敷、東秩父村大内沢・
登谷山中腹に長者屋敷があった。 高見王第二子恒望王が遠流され居住したので大内沢となった。
○天狗の腰掛松、東秩父村皆谷・観音山
○馬糞のボタ餅、東秩父村皆谷・東秩父村白石
○神隠し、東秩父村皆谷・
○大日如来の化けた狐、東秩父村皆谷・
大日尊の法碑があるらしい…
○天狗拗石、東秩父村坂本・琴平神社
天狗が「オーイオーイ」と呼ぶので返事したら、岩が飛んできた。 天狗ツブテともいわれる。
○鬼と神力坊、東秩父村坂本・
○チックビ山、東秩父村坂本・
鉢形城落城のおり宝物を埋めた… 掘ると血の雨が降る…
○呼ばわり神、東秩父村坂本・
屋根に上り・オーイと叫ぶと、失踪者がいる方向から声が聞こえ・やがて失踪者が戻ってくる、らしい。
○狐に化かされた和尚、東秩父村白石・
長慶寺
○乳垂銀杏、東松山市岩殿・岩殿観音
○抜け絵馬、東松山市岩殿・岩殿観音
絵馬が抜け出した。
○不鳴の池、東松山市岩殿・岩殿観音近く
鳴かない蛙、もし鳴くと悪龍が出るらしい。
○クツワ虫の棲まない山、東松山市岩殿・正法寺
比企能員夫人を匿うため、正法寺和尚が山中のクツワ虫を根だやしにした。
○九十九谷、東松山市岩殿・
弘法大師百谷伝説
○縁切橋、東松山市岩殿・
坂上田村麻呂が女性と別れを惜しんだ。
○比丘尼山、東松山市大谷・宗悟寺
頼朝の妾「若狭局」が、頼朝死後に草庵をつくり棲んだといわれる。
(妾、関東では「めかけ」・関西では「てかけ・おてかけさん」で、京詞の勝)
○中将姫の蓮糸の曼陀羅、東松山市高坂・高済寺
中将姫が織ったといわれる曼陀羅。
○耳だれ様、東松山市田木・
入定塚、耳の病に験あり。
○戸井田四つ尾稲荷、東松山市野本・無量寺
無量寺門前将軍塚
○陸稲を作らぬ話、東松山市野本・利仁神社
下野本ではどこの家でも陸稲をつくらなかった。
○女影(おなかげ)、日高町・
娘せんが池に身を投げた・せんの影を池面に見た馬が池に飛び込んだ・小袖を探す女の影、等多数の伝説がある。
○猫炙、深谷市中瀬・
幼児の夜泣きに効くかんの炙師、猫が伝授したといわれる。
○想海上人入定堂、吹上・北新宿永勝寺
寛文二年二月二十一日入寂
○笈重りの薬師、吹上町大芦・医王寺
○鶴間諏訪社と富の地蔵の争い、富士見市鶴間・三芳町上富
富士見市鶴馬諏訪社と三芳町上富多福寺。
○聾のお諏訪様、富士見市鶴間・
鶴間のお諏訪様がお祭りの日にちを聞き間違えたらしい…
○おえんが渕、富士見市水子・
子守の「おえん」が稚児を渕に落としてしまった。
○水子観音、富士見市水子・
年若い旅僧を泊めた百姓勘右衛門、いつしか娘に子が生まれた。 再び訪れた旅僧を問いつめるも「覚えが無い」、旅僧は赤子を手に乗せフッと一息、赤子は消え掌には水だけが残った。
○鯉をたべない話、三郷市茂田・
小貫家由来
○鰻をたべぬ話、三郷市彦倉・
虚空蔵信仰由来
○雲竜石、三郷町彦倉・虚空蔵堂
力石
○白馬を飼わぬ話、皆野町上日野沢門平・大山神社
○大塚の池、皆野町腰・
ダイダラボッチ伝説
○空滝クモ、皆野町下日野沢・空滝
○身代地蔵、宮代町須賀・真蔵院薬師堂
笈重りの薬師
○身代神社の池、宮代町須賀・身代神社
オイテケ堀伝説
○逆菩提樹、宮代町西久米原・宝光寺
行基菩薩の杖が根付いた。
○ぶっさり地蔵、宮代町西久米原・宝光寺
杉戸宿遊郭に遊びに行った若者、夜道で若い娘が肩に負ぶさった。 よくよく見ると地蔵様。
※遊郭に遊びに行った地蔵様、疲れたので若者に負ぶさったらしい…
○小豆とぎ、宮代町西久米原・
○八百比丘尼を祀った堂、宮代町百間天沼・
○履沓掛地蔵、宮代町百間東・西光院
舟山地蔵とも
○ネギを作らぬ話、宮代町百間東・
西光院を草創した行基菩薩はネギが嫌いだった。
○地蔵に化けた狸、三芳町上富・木宮地蔵尊
○乳垂松、三芳町上富・地蔵堂
○夜ばい地蔵、三芳町上富・多福寺
イタズラが過ぎたので地中に埋められたといわれる。
※冨の地蔵・木の宮地蔵・夜這地蔵、ともよばれる
○妻沼聖天と太田呑龍の争い、妻沼町・太田市
妻沼聖天院と太田市太田呑龍の争い
○妻沼聖天と須加熊野社の争い、妻沼町・聖天院
妻沼聖天院と行田須加熊野社の争い。
○ホウロク与兵衛、妻沼町江袋・
ホウロクを売り歩く与兵衛、大晦日にカッパの助けで売り切った。
○松を植えぬ話、妻沼町妻沼・歓喜院
妻沼聖天さまは松が嫌い、名前に松はダメ・門松もダメ…
○鎖で繋がれた猿、妻沼町妻沼・聖天院
本殿の猿、夜な夜な抜け出して田畑を荒らしたので、鎖でつながれた。
○酒をつくらぬ話、妻沼町妻沼・聖天院
○生川、横瀬・太陽寺
畠山重忠誕生伝説、太陽寺開山鬚僧大師と諏訪湖主の大蛇の間に生まれたことになっている。
○二子山、横瀬・
ダイダラボッチ伝説。 芦ヶ久保は、ダイダラボッチの足窪地とも。
○親鸞上人の木像、吉川町木売・清浄寺
親鸞八十九歳にして自ら彫ったといわれる。
○女郎ぼとけ、吉川町吉川・延命寺
○咲かず桔梗、吉田町石間・神泉村矢納
桔梗の前伝説、多くの噺がある。
○子は清水、吉田町下吉田矢畑・子は清水の碑
毎夜酒徳利を下げて帰る父、不思議に思った息子が後をつけると・父親が美味そうに呑んでいたのはただの清水だった。 皆野にも強清水伝説がある。
○抜け絵馬、吉見町御所・安楽寺
絵馬が夜な夜な抜け出し・荒川の水を飲み・田畑を荒らした。
○椀箱沼、吉見町一ツ木・
椀貸伝説
○西行戻しの橋、寄居町末野金場・もとほる
西行が問答に迷い戻ったといわれる。
※戻るは「もとほる」、一つ処に低徊しているの意。
○鬂盥石、寄居町波久礼・
○縁切橋、嵐山町大蔵・
○木曾義仲産湯清水、嵐山町鎌形・鎌形八幡神社
○片目の鎌形八幡様、嵐山町鎌形・八幡社
○御堂山、嵐山町太郎丸・
ダイダラボッチ伝説
○太田坊、嵐山町広野・
ダイダラボッチ伝説による地名といわれる。
○足濯地蔵、和光市上新倉・正願寺
百姓の姿になり田植えを手伝ったといわれる。
※漆台の地蔵・足洗地蔵・不洗足地蔵、ともよばれた
○枕返し地蔵、和光市下白子・地福寺
亡くなった尊恵法師を葬ったところ、生き返ったといわれる。
○子安の池、和光市下飯倉・妙典寺
日蓮上人が楊枝で突き湧き出した池、安産に霊験。
○楊枝柳、和光市下飯倉・妙典寺
○梶原景時駒繋のサザンカ、鷲宮市鷲宮・鷲宮神社
八幡太郎義家の駒繋の杉もあった。
○市子塚、蕨市・一里塚近く
巡礼の母娘、村人が病で動けなくなった母親を助けたの機に下蕨部落に棲むことになった。 娘はとびきりの美人、多数の縁談から悩んだ娘は入水してしまった。
※市子は巫女のこと
○火消しの竜、蕨市・三学院
山門の竜、口から水を放ち火事をくいとめた。
○怒った地蔵尊、蕨市・三学院・火伏せ地蔵
煙草を吸いたくなった地蔵、夜分に煙草を買いに出かけたが・煙草屋に断られた。 そして煙草屋は燃えた。
○生まれかわった僧侶、蕨市・東光寺
東光寺僧侶が大名の子に生まれかわった。
○八百比丘尼が滞在した東光寺、蕨市・花木山東光寺
旧兼松羊毛株式会社蕨工場北方
○八百比丘尼の植えた椿、蕨市・花木山東光寺
八百比丘尼の守護仏もある。
○比丘尼塚、蕨市・比丘尼田
尼僧が世をはかなんで沼に身を投げたといわれる。
○落人村、蕨市・ペリカン石鹸跡
藤原鎌足後胤金子右馬馬之助一族が、保元平治の乱を避け・蕨元村本村に落ちのび蕨開発の祖となるも明治初年絶家。
○鎧塚、蕨市・蕨城跡
蕨城主渋川公と共に戦死した部将の鎧・兜を埋めた。
○八百比丘尼の開いた田、蕨市・蕨本村
比丘尼田
○御座所の松、蕨市・蕨本村・八幡社
金子家忠
○経塚、蕨市塚越・塚越稲荷社
○蕎麦を作らぬ話、蕨市塚越・
渋川公家臣由来
※各地にみられる片目の魚については、眼を患った人が治癒を祈願して放生会などに放った、との説もある。
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