○切支丹屋敷跡・文京区小日向1-24-8
※この石碑は、1984年8月北側のブロックより移動された。
切支丹坂
島原の乱の五年後、イタリアの宣教師ペトロ・マルクエズら10人が筑前に漂着、すぐに江戸送りとなり伝馬町の牢に入れられた。 その後、宗門改役の井上政重の下屋敷内に牢や番所などを建て収容したのが切支丹屋敷の起こりである。 寛政四年の宗門改役の廃止まで続き、鎖国禁教政策の下で宣教師や信者を収容し、宝永五年イタリアの宣教師ヨハン・シドッチが屋久島に渡来したが切支丹屋敷に入れられた。 徳川六代将軍家宣に仕えた新井白石はシドッチを尋問し、『西洋紀聞』にまとめられた。
切支丹屋敷跡・明治時代
切支丹屋敷跡・明治時代
切支丹屋敷井戸跡
切支丹屋敷血の池跡
智福寺・1951年
シドッチ
蛙坂・復坂
☆小伝馬町牢内之図・小伝馬町牢屋敷展示館、日本橋小伝馬町4-4
コメント