かねやす
享保年間に、現在の本郷三丁目の交差点角に、兼康祐悦という歯科医が乳香散という歯磨き粉を売り出した。 これが当たり店が繁盛していたという。 享保壱十五年に大火があり、湯島や本郷一帯が燃えたため、再興に力を注いだ町奉行の大岡越前守は、ここを境に南側を耐火のために土蔵造りや塗屋にすることを命じた。 一方で北側は従来どおりの板や茅ぶきの造りの町家が並んだため、「本郷もかねやすまでは江戸の内」といわれた。
※暖簾分けした弟の芝神明・兼安は、商標争い決着後やがて廃業した。
小間物屋(雑貨屋) ※古くは、珍しい舶来品を売っていた唐麗物屋がはじまりともいわれる。
☆糊屋
飯に水を加えて作った糊、昼は糊・夜は姫糊とよんだ。 ここでの「のり・のる」は「火難が乗り移る・取りつく」の忌詞。
※姫糊(非米糊)は夜言葉、浪の花も夜言葉。
☆糊屋の看板
のぶとい→図々しい、あるいは利が細い。
背負い小間物屋(しょいこまものや)
★小間物屋天逆鉾まで仕込み
★人間のたけり迄ある小間物屋
★小間物屋御不幸以降に一本賣り
★小間物屋すけの局へ一本賣り
★長いのははやりませんと小間物屋
★かの本へかの品添えて小間物屋
★越前は一本もない小間物屋
★小間物屋にょきにょきにょきと出して見せ
★生き物のように扱う小間物屋
★左甚五郎作…
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