東光寺
☆黒塚の鬼婆
祐慶上人が東国足立ヶ原にて黒塚の悪鬼を呪伏して東光坊と号した。 その後東光寺は移転した。
☆大宮山東光禅寺(江戸名所図会)
大宮宿宮町の右側にあり。 往古ハ天台宗なりしが、今宗風を轉して曹洞派の禅林とす(染谷の常泉専に属す)。 本尊は金銅の薬師如来、一寸八分ありて、木佛の薬師の胎中に収む。 開山ハ紀州熊野那智山の東光坊阿闍梨祐慶なり(長寛元年葵未正月廿八日遷化、傳聞、天台宗栄光坊阿闍梨宥慶法印、熊野那智山下濱宮住侶、西家三男也。盖足立郡者、光明房依為代代之旦那、所令下向。此時大宮黒塚之悪鬼、以法力令退散云々。寺説に云く、祐慶ハ西家の三男にして、那智山下濱宮といへるに住侶たり。長徳年中西三條の家より継るゝ故に、濱宮の西殿と申傳ふ。今猶しかり。就中西の家は能野上綱の正嫡なりと云々)。 鳥羽院の御宇、開東に下向し、法力を以て一宇をひらきて、熊野の威光を関東に輝といへる意によりて、寺を東光寺と号らる。 足立原に古塚あり、黒塚と号く。 塚に慶鬼あり、窟を宅とす。 殺気天を凌、猛威人を挟む。 慶師道力を励しこれを伏すと。
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