NHK川口ラジオ放送所 メモ
○NHK川口ラジオ放送所
昭和12年12月東京第1放送所として590KVZ150KWで放送開始。 昭和6年新郷放送所内に東京第2放送所として放送開始。 昭和12年東京第1放送所開所に伴い鳩ヶ谷市里に移転。 昭和16年12月8日太平洋戦争にともない電波管制の為10KWに滅力。 その後も敗戦にともなうFENの送信など色々変化があった。
昭和32年4月第1・第2放送とも100KWに増力。 第2放送所は戦争中は放送を中止。 戦後は米軍駐留軍に接収され、昭和35年12月第2放送は310KWに増力され、鳩ヶ谷放送所へ移設。
○新郷放送所
昭和3年JOAK東京放送局新郷放送所開所によりラジオ放送が始じまる。 昭和6年第2ラジオ放送が新郷送信所で放送が開始されたが昭和12年12月、第1放送所が上青木町へ第2放送所か鳩ヶ谷町里へ移転に伴い両放送所へ分離移転した。
NHK・JOABラジオ第1放送所は昭和12年12月12万平方mの敷地内に完成。 高き312.8mの2本の鉄塔からラジオ第1放送の電波は東京芝愛宕山(後内幸町へ移転)のスタジオから送られて来た音声をここを通じて日本全国に放送された。 第2次大戦の開戦を告げるニュース「真珠湾攻撃」や「シンガポール陥落」などの大本営発表・空襲警報の発令・終戦の天皇の玉音放送はここから放送された。
○JOQR文化放送送信所
元JOAK東京放送局(現在のNHK)新郷放送所跡で「こんにちは・ただいまより放送を開始します」の声で始まったのが日本で最初のラジオ放送で、大正14年の事です。 当時は東京芝の芝浦のスタジオからと云われています。 その後間もなく芝愛宕山に移転し、放送を続けたと云われています。 NHK新郷放送所は大正14年新郷寸大字赤井台の高台に放送所の建設を起工し昭和3年に開所しました。
新郷放送所は10キロワット放送で、高き5mの鉄塔二基・局舎・発電所・付属舎・合宿所・舎宅(3軒)機械を冷やす池・井戸等が造られていた。 愛宕山のマイクロフォンへ入った極めて小さい音声電流は音声増幅器で数千倍に拡大され、それが地下ケーブルによって新郷放送所へ送られて二本の鉄塔の空中線から電波(長波)で放送された。
歴史を変えたと云われる昭和12年2月の二・二六事件の戒厳指令官香椎中将の「兵に告ぐ」の放送はここから送られた。
○愛宕山・JOAK
大正十四年三月二十二日、JOAKが東京高等工芸学校にてラジオ試験放送。 七月十二日愛宕山・東京中央放送局にて本放送。
☆検見川送信所
1941年12月2日17時30分、大本営より機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文が発信された。
☆立体放送
NHK第1放送が左側の音声・第2放送が右側の音声をそれぞれ放送して、2つのラジオを並べて置くとステレオ音声が楽しめた。 ラジオが二台あればの話…
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