鍋屋・釜屋
天保の改革により江戸十組問屋(鍋釜問屋・関東吹屋仲間)が解散され、鍋釜鋳物が自由に販売できるようになった。 文政年間に島崎平五郎が(文化五年生)、一日に二回鍋を担いで江戸市中まで売りに行った。 二代目平五郎の頃には「鍋平」の名で全国に知られるようになり、鍋平商店~鍋平倉庫の通りは「鍋平横丁」とよばれ賑わった。
※嶋崎平五郎(鍋平)や永瀬八五郎(武蔵屋)は、鋳物師増田安次郎の職人だった。
増幸商店
※鋳物工場屋号「永□」は永瀬庄吉工場から独立・屋号「増□」は増田工場から独立した工場。
福録ストーブ
第一工場から第三工場まであった。 平成四年度生産停止。
永瀬庄吉
それまでの生型鋳造を焼型鋳造に代え大量生産を可能とした。 また、足踏みたたらを蒸気機関とし・後に電動となった。 邸内には発電所があったらしい。
○旧鋳物問屋鍋平別邸(川口市母子・父子福祉センター)
川口市金山町15-2
☆川口市母子福祉センター(旧鋳物問屋鍋平別邸)主屋
明治/1912頃/1927頃増築 木造2階建、瓦葺、建築面積200㎡
鋳物問屋嶋崎家の別邸として建設された。数度による増改築により複雑な平面・外観を呈すが,玄関から東半の1階部分が創建当初の箇所である。座敷は床,棚,書院を備えた本格的な構えで,亀甲模様の書院窓や透彫り欄間など,数寄屋風の凝った意匠で飾る。
☆川口市母子福祉センター(旧鋳物問屋鍋平別邸)離れ
昭和前/1939 木造平屋建、瓦葺、建築面積82㎡
主屋の東に増設された平屋建の建物。10畳の座敷の北面に床・棚・書院を備え,その他三方に縁を回らし,北に便所を付属する。座敷回りは輸入された銘木やガラスを多用し,洋式の便所は外観を洋風にまとめ,内部をモザイクタイル等で飾る。
☆川口市母子福祉センター(旧鋳物問屋鍋平別邸)蔵
昭和前/1927頃 木造2階建、瓦葺、建築面積29㎡
主屋の北西に建つ土蔵。米蔵として主屋玄関脇の応接間等とともに増築され,後に内部に床を増設して二層に改めた。2間×3間の小規模な蔵だが,外壁はモルタル塗りに目地を切り石造風に見せ,軒蛇腹,胴蛇腹を付けて外観を整えるなど,丁寧な造りになる。
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