普門院
○大成山普門院
さいたま市大宮区大成町2-402、048-663-1471
※いたずら禅師像・「月江正文禅師頂相」、相当のイタズラ好きだったらしい。
※月江和尚の木像、盗賊から村民を助けた際に傷を負った、月江和尚命日には血がにじみ出るらしい。
☆月江禅師の木像のかたなきず
大宮市の大成にある普門院は、応永三十三年に月江禅師というお坊さんが開いた古いお寺です。 このお寺には、今でも、月江禅師の木造がまつられています。 むかし、平方に住むある男が、与野の宿の夜の市に行って買物をすませ、水判土観音の近くにさしかかりました。 すると、暗やみの中から、とつぜんとうぞくがあらわれて、男に刀をつきつけました。
「さわぐな。 あり金みんなおいていけ」
「金は、金はみんなやる。 命ばかりは助けてくれ」 男はふるえる手で、すところから金を出してたのみました。
「こ、これでぜんぶです。 命ばかりはお助けを!」
「なんだ! これっぽちしか持っていねえのか」 とうぞくは男からお金をひったくると、
「後で役人にうったえられてはめんどうだ。 かわいそうだがあの世へ行ってもらう」と、刀をふりかぶりました。
「だ、だ、だれか、助けてくれえ」と男はさけんで、へたへたとすわりこんでしまいました。 とうぞくが、刀をふりおろそうとしたそのとき、とうぞくの目の前に大男がぬっとあらわれて、両手を広げて立ったのです。
「だれだ、じゃまだてするとたたききるぞ」 とうぞくは、大男めがけて刀をふりおろしました。 刀は、大男のどこかに当たったらしく、カチッと音を立てましたが、そのままポキリと、二つにおれてしまいました。
「しまった!」 とうぞくは、刀をほうり出して、暗やみの中へいちもくさんににげていきました。 男は、しばらく何事が起こったかわけがわからずぼうぜんとしていましたが、大男が自分を助けてくれたことに気づき、急いで立ち上がって、命の恩人に深々と頭を下げて、お礼をいいました。
「どなたかぞんじませぬが、あぶないところを助けていただき、ほんとうにありがとうございました」 大男は、ことばが聞こえたのか、聞こえないのか、何もいわずにスタスタ歩き出しました。 男は、あわてて追いかけながら、「どなたさまでしょうか。 お名前を教えてください。 お礼を申し上げたいのですが……」といいましたが、大男は、返事もせずにどんどん先へ歩いていきます。 男は、しかたなく、後からついていきました。 大男は、大成の田んぼの方へ進み、普門院の前まで来ると、すっと門の中に入っていき、境内に消えてしまいました。
「おや、ここは、いつもおまいりに来る普門院さまだ。 ここに、あんな大男のお坊さんがいたかな。 でも今夜はもうおそいし、家の者も心配しているだろう。 お礼はあしたにして、今夜はひとまず家に帰るとしよう」と、男はわが家へ向かって歩いていきました。 よく朝、男は、夕べのお礼をいおうと、やさいなどのみやげを持って、普門院をおとずれました。 まずは佛さまをおがんでからと思い、本堂の月紅禅師の木像の前に立った男は、アッとおどろきの声をあげました。 木像のかたのところに、新しい刀のきずがついていたのです。
「ああ、このきずは……。 夕べわたしを助けてくださったのは、月紅禅師さまだったのですか。 ありがたや、ありがたや」と男は佛さまに何度もお礼をいいました。 今でも、禅師の命日に、月紅禅師の木像のかたのきず口にぬれ手ぬぐいを当てると、血がにじんでくるといわれています。
☆画像からぬけでた いたずら禅師
そのむかし、与野の町に仁平さんという経師屋が住んでいました。 仁平さんは、与野にほど近い大成村の普門院という大きなお寺の熱心な信徒で、朝夕のお勤めはもちろんのこと月に三度のお寺まいりも決して欠かすようなことがありませんでした。 ある日のこと、いつものように仕事場に入り、いっしょうけんめいに働いていると、ふいにだれかうしろから目をふさぎました。 また、近所のいたずら小僧の仕業かな! と思いこんだ仁平さんは、茶目っ気を出して糊のついている刷毛ですばやくうしろをはらいました。 すると、確かに手ごたえがありました。 しめた! と思い、うしろをふり向いてみると、そこにはだれの姿もみあたりませんでした。 これは不思議なこともあるものだなあと思い、それから家の人にだれか遊びに来ていなかったかとたずねてみましたが、それらしい返事は得られなませんでした。 仁平さんは、いよいよキツネにでもつままれたような気持ちになり、隣近所の人たちにもそのことを打ち明けてみましたが、いっこうに手がかりはつかめませんでした。
それから、普門院の開山月江禅師の画像の横顔にベッタリと経師屋の刷毛ではいたように、糊がついているといううわさが広がってきました。 それを聞いた仁平さんは、まさかと疑いつつも、さっそく普門院に駆けつけ、住職さんにお話していっしょに本堂へ行って見て、ビックリ仰天しました。 うわさのとおり、たしかに月江禅師の画像のうえに経師糊がベッタリとついているではありませんか。 しかも、糊がすっかり乾きあがっているのです。 仁平さんは、思わず目を閉じて合掌し、経文をとなえてから、おもむろに禅師さまのお顔を拝見しますと、禅師さまがニッコリとわらっているではありませんか。 このお顔は、いかにもいたずらっぽいお顔のようにも見えました。 それ以来、与野の経師屋仁平さんはなおいっそう信仰を厚くし、家業に励みましたので、商売はますます繁盛し後世まで栄えたということです。
☆鎧兜を着たゆうれい
普門院の四十二代目の道山和尚さんのまだ若いときのことです。 昔は道路が狭く曲がりくねっていたり、川を渡る橋も少なく、大水が出ると橋が流されて、人々は大変不便な暮らしをしていました。 そのころ、耕地整理といって村の長老がお寺の本堂に集って新しい道路や橋をつくる相談をしました。 この計画に賛成の人ばかりではありません。 反対の人もいたり、いろいろな意見もありましたが実施することに決まりました。 和尚さんもいっしょに考えていました。 そして、古い地図の上に新しい計画の地図が、碁盤の目のように書き加えられていきました。 やがて工事も次第にすすみ田畑や、山林の中にも、新しい道路がきりひらかれて開墾されていきました。 そしてある農家の庭にも道が通ることになりました。 とある夜のこと、その家のおばあさんが外のかわやへ用足しに行こうと庭でました。 月の出ない暗い夜でしたが、自分の家の庭先きですから、なれていました。
かわやの近くにいくと、だれか人の気配がするのです。 よくみると昔の武士のような姿で兜に鎧を着て、立っているではありませんか。 でもおばあさんは、気のせいかも知れないと、かわやで用をすませて、外をみると、もうだあれも立っていませんでした。 おばあさんははやり、気のせいだと思いました。 ところが次の晩も、又次の晩も同じころに同じ鎧を着たさむらいが立っているのです。 よくよく見ると、何か助けを求めているようでとても淋しい顔をしているのでした。 はじめは夢かと、うたぐっていたおばあさんも、これは夢ではないと思うと、こわくなってしまい、身の毛も弥立って、とうとう床についてしまいました。 おじいさんが普門院の和尚さんのところにきて、その話をしました。 和尚さんは、さっそく、おじいさんとその家に出かけました。 そしてお佛だんに向かってお経を唱えました。
そのとき、庭先に道路の工事がすゝんでいましたが、人夫が大声でさけびました。 スコップの前に何か当たったらしいのです。 みんなが、わいわいよってきました。 おばあさんも、おきて見に行ってびっくりしたのです。 毎晩助けを求めて現れた、あの侍のゆうれいの兜と鎧が土の中から掘り出されたのでした。 むかし、このあたりで、戦が行われたのでしょう。 傷ついた侍が、ここに埋められていたのでした。 和尚さんは、みんなと手厚く葬り、読経回向をして慰めました。 その晩から鎧の侍は現れなくなったということです。 そののち欠かさぬ供養のおかげでその家は大変栄えたということです。
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