☆駒形社
鎌倉時代山口隼人正なる者、この地に流れ着くも乗っていた白馬が脚を折ったため土着し・白馬の霊を祀った。 周辺の畑からは毎年幾つかの白い薩摩芋が穫れ、白馬の変身として社に供えた。 (他説もある)
※並木村(三橋一丁目)より移転、後に氷川神社に合祀。
☆藤橋、さいたま市大宮区三橋4
藤のつるで編んだ吊り橋、だいぶ傷んだので村人達は架け替えたいと願った。 そこに現れた旅人、行者となり寄付を集め・托鉢してまわったのち、姿を消した。 皆が忘れたころ、行者は五隻の船で石を運び込み・石橋が完成した。 この行者が、京都宮津の石屋小平次だった。
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