タコタコ眼鏡
蛸やおかめの操り人形を、タコタコ眼鏡を透して観たらしい。
※江戸では「おかめ」・上方では「戎」
レンズ部が回転する眼鏡もあったらしい。 持ち逃げされないように、紐で二つ一組につないだ。
☆ホニホロ眼鏡、ホニホロ飴売りが飴を買った客に眼鏡を貸し・自分が走り回る姿を見せた。
☆蛸蛸・タコタコ
春秋の彼岸に四天王寺境内へ出た大道芸人の一つ。 一人は、張りぼての大きな蛸を頭からかぶり、一人は戎のかぶりものに同じく張りぼての鯛を持って踊ったものであるが、後には、日清戦争の影響を受けて、腰に張りぼての馬をつけ、玩具の剣を振り廻して、奇抜な剣劇を演じるようになった。 そして、大活劇の後敵兵の首が落ちると「コレ一銭の泣き別れ」で入れ替りとなるのだった。 それを万華鏡(まさかど眼鏡)で覗かせたもので「天王寺名物、たこ々眼鏡じゃい」の声は、大阪人にとってはなつかしい想い出である。 見料は、のちに二銭、三銭となり、最後に五銭になってついに滅びた。
☆ちちのおんばさん・四天王寺布袋堂
餡餅二つ供え・姓名年齢を記し・一週間分のお膳料を収める→洗米とあん餅六個を渡されるので、自宅に戻り洗米と餅を食べる。→絵馬を奉納し祈ると乳の出がよくなる。
※古くこの地には聖徳太子の乳母が住んでおり、これを祀ったといわれる。
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