文殊寺
文殊寺は古くは氷川女體神社の境内に、社宝・持統天皇勅納と伝える大般若経の写経の保護のため別当寺(神仏習合説に基づいて神社に設けられた神宮寺)として建立されたという寺で、約30坪の本堂と文殊堂があり、大般若経を収蔵していました。 明治四年の神仏分離令により、薬王寺(喜見山長樹院)と合併し文殊寺となりました。
○文殊寺絵馬
文殊寺には、縦1m以上・横1.5~1.8mの大きな絵馬が三面伝わっています。
一つは、文化十年に奉納されたもので、蕨の高橋新五郎雪元が伊予大三島神社の鳥居額を書いている藤原佐里(三蹟の一人)を描いたものです。
もう一つは、文政十三年に木崎村の筆子中13名などによって奉納されたもので、文殊菩薩と思われる姿が描かれています。
三つめは、元治二年に奉納されたもので、楠木正成・正行親子が湊川の戦いに際し、桜井の駅で分かれる場面が描かれています。 絵師は、地元・氷川女體神社の神主家から出た武笠松渓です。
☆三室の榛名信仰の祠
さいたま市緑区三室1960・文殊寺付近
三室小学校や文殊寺の載る台地の西の端、坂を登ったところに榛名大権現を祀った小さな祠があります。 高さ132㎝の安山岩製の石碑で、正面に「榛名山満行宮大権現」とあり、左右に「天下和順 日月清明 五穀成就 万民安全」と刻み、背面に文政七年二月初寅日とあります。 台石には「永代代参講中」とあり、榛名山代参講の人たちによって建てられたものであることが分かります。 榛名山代参講は、毎年初寅の日に数名で出発する代参講で、行き先は榛名神社です。 榛名山は作神ですので、農作業とりわけ稲の種まき前に行く必要があります。 それで二月(太陰暦)などと早い時期に行くことになります。 この台石にはさらに、宿組・松木組・馬場組の55人の姓名が刻まれており、世話人は武笠嘉兵衛とあります。 また別当薬王院(今の文殊寺のところにあった寺、廃寺)・氷川女體神社神官の武笠幸昌の名もあります。 正面には、榛名神社のお札が掲げられています。 榛名信仰の場として貴重な祠です。
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