大吉調節池公園(親水公園)
☆越谷市内の元荒川
荒川は江戸時代以前は現在の元荒川筋を流れていたが、寛永六年に和田吉野川に付け替えられ、入間川筋を本流とする流れに変わった。 この瀬替えにより荒川は元荒川と称された。 元荒川は上流や中流ではところどころに堰が設けられたため下流に流される水量は激減し・元荒川を水源とした瓦曽根溜井には水が入らず、用水に差し支えるようになった。
この水量不足を補うため開発された中島用水は松伏せきでせき止められ、松伏領や新方領の用水にも用いられたが、多くは大吉村から大沢の地蔵橋地先の元荒川に至る長さ1,760間(約3.1km)の新水路に流された。 この用水路は鷺後用水路と称されたが、水元の水門が閉鎖される用水不用の季節には元荒川がこの水路をつたって逆流したので、通称逆川と呼ばれた。
元荒川は大沢地蔵橋からてんぐの鼻状に花田村をう回し、小林村東福寺前から瓦曽根溜井に通じていた。 この流路はその元にあたる越ヶ谷天嶽寺前から小林村東福寺にかけ、直流の新川が開削された。これは中島用水が開発された治水対策に伴って施工された一連の工事と見られる。
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