田島神明神社
〇田島神明神社
朝霞市田島2-224
当社がこの地に勧請された年代については定かではないが、毛呂山町滝ノ入の桂木寺にある桂木観音堂に懸かる鰐口の銘文から、室町中期には既に存在していたことがうかがわれる。この銘文は「奉懸氷河之大明神御宝前之鰐口武州新座之郡広沢之郷浜崎宮 福徳二辛亥九月吉日 願主 太夫三郎太郎敬白」というもので、文中の氷河之大明神は当社のこと、私年号である福徳二年は干支から延徳三年のことと推測される。 当社に奉納された鰐口が毛呂山町にある理由は不明である。 このことは、化政期(に編纂された「風土記稿」いも記されている。
明治四十二年三月、大字宮戸の熊野神社(現宮戸神社)と大字田島の神明神社を合祀したのを機に、当社は三柱神社と改称した。 しかしこの合祀は形式的なもので、両社共に社殿は揺拝所としてそのまま残された。 そこで、太平洋戦争の後、合祀された両社の旧氏子たちの間から復祀を望む声が高まってきた。 そのため、昭和三十二年十二月に両社の御霊式を旧地に戻し、同時に当社も氷川神社の旧称に復した。
〇笹橋・朝霞市田島1-17
古くは丸太を渡して・その上に竹を敷き詰めたといわれる。
〇八日節句、二月八日と十二月八日
古くは、この日の晩に疫病をもたらす一つ目の鬼が来るといわれた。 この鬼を追い払うため、笹橋のそばに生えているガラギッチョ(さいかちの実)を焚きあげて、その煙と臭いで鬼が家内に入ってこないようにした。
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