宝蔵寺
薬王山佛眼院宝蔵寺・宗旨は真言宗智山派、本尊は不動明王。 近世においては石神井三寶寺の末寺であったが、現在は京都府の大本山知積院の直末となっている。 もとはは経典を蔵するという意味で法蔵寺としていたが、いつの頃からか宝蔵寺と記すようになったらしい。 由緒は弘治元年の縁起「当寺元起書」にもあるが、開基以前は「此處薬師如来之霊地也」とあり、すでに存在した薬師如来と深く係わるところを受けて建立されたと窺え、また「一切経蔵之跡也」ともあることから、古くは経蔵・経塚などがあったとも想定される。さらに、弘法大師の自作による本尊「不動明王一尊」があったとしているあたりに、真言密教との関連を示唆するものがある。 『風土記稿』には、この本尊が古朽して片目を失い・のちに補ったことから、山号を薬王山・院号を佛眼院とするになったとある。 そして、開基を高橋内膳某・中興を眞能房融寂としている。 いずれにせよ、境内や付近の畑地・墓地のなかから、正中二年・応安元年銘の阿弥陀種子板碑や一二世紀のものとみられる経筒のほか、多数の板碑も出土していることから、少なくとも平安時代末期には何らかの堂宇が存在したのではないかと考えられている。
本堂は天和二年再建・昭和三十七年に改築、昭和四十一年庫裡竣工。 薬師堂は慶長十三年に創建・寛延元年焼失・宝暦五年に再建立、その後いくどか改修・修理が施された。
★施餓鬼供養
実蔵院(志木市中宗岡)では旧暦八月十六日・宝蔵寺(朝霞市宮戸)では旧暦八月十二日ごろに施餓鬼供養が開かれた。 昼間から境内参道に出店が並び、近在から多くの参詣者で賑わった。 六ツ刻になると子供や子連れ親子は家に帰り、若い男女の出逢いの場となった。
※実蔵院はボボ施餓鬼・宝蔵寺はボボ薬師寺、ともよばれた。
※神社で催された「お籠もり」、一万人を越える若い男女が集まった神社もあった。
こんばんは!初めまして!
最近、朝霞の高尾山の事を知り、とても驚いています。
寳蔵寺や金剛寺の高尾山を訪問してみたのですが、朝霞(もしくは志木)の高尾講の情報がありますでしょうか?
金剛寺の石碑には、おおざっぱに朝霞の高尾山講の事が記されていました。何か情報があれば教えて下さい。(*^_^*)
投稿: torikera | 2021年11月 7日 23:01
下記参照のこと。
〇平野榮次著作集1 富士信仰と富士講 平野榮次 岩田書院 2004年11月
〇朝霞市史 民俗編 朝霞市教育委員会市史編纂室 1985年3月
〇志木市史 民俗資料編 1 志木市編集 1985年3月
〇関東周辺の御師集落 三浦家吉 甲文堂出版部 1973年11月
投稿: yamada | 2021年11月 8日 07:11