くらわんか舟
☆喰らわんか舟・天下御免の放言
大坂夏の陣で真田幸村に追われた徳川家康、大久保彦左衛門に負われて淀川堤を逃げ、干鰯を積んだ船(あるいは煮売船)を見つけ・荷の下に隠れた。 かくして真田勢の目を逃れた家康は、船頭に恩賞を与えた。 それが「牧方筋の茶船に食べ物の販売権、大名相手でも方言・雑言お咎めなし」といわれる。 そしては、「酒くらわんか あん餅くらわんか 銭がないよてようくらわんか このあほんだら」と唱えて商いしたといわれる。
※この俗説は、枚方・高槻などにもある。 船頭は、だれ相手でも言葉が乱暴だったらしい。
※くらわんか舟は寛永十二年頃から。 往来する船に鈎などを打ち・苫を引き上げ・船客を起こして、酒・飯・汁・餅などをかなり強引に売りつけた。
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