東京帝国大学から遊廓が見えるという理由で、明治二十一年六月三十日に根津遊廓を洲崎神社裏の人里離れた新埋立地に移転させた。 その数、大八幡・甲子・松葉・新八幡・本金村・大松葉・常盤・出金村・港楼など、合計八十三軒。
明治二十六年大火で焼失・明治四十四年台風で倒潰・大正六年台風で倒潰などするも再建、大正時代末期には三百軒(貸座敷・引手茶屋・芸奴屋)ほどになった。
※古く洲崎は「深川洲崎十万坪」と呼ばれ、海を望む景勝地であった。
洲崎八幡楼、明治二十一年に根津八幡楼が移転した。
洲崎パラダイス時代(戦後)
二軒茶屋・富岡八幡宮境内
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