小松島・八州園
古くは、常陸谷田部藩細川氏・駿河沼津藩水野氏・越前福井藩松平氏・秋田藩佐竹氏の屋敷。 文政五年水野忠成の別邸、万延元年佐竹氏に移り浩養園・佐竹の庭となり、明治二十三年から一般公開。
明治三十三年札幌麦酒東京工場、明治三十九年第日本麦酒吾妻橋工場。
※小松島は、「小さな松島」の意。
☆佐竹家の庭・吾妻橋
文政三年に将軍家が三河島造園家伊藤門三郎(伊藤七郎兵衛)に命じて造営、十一代将軍から水野出羽守忠邦に賜り、後に松平越前守の所有となり、更に嘉永年間秋田藩主佐竹左京太夫の下屋敷となった。 佐竹家は金に糸目をつけず・庭園を整備した。 その後、天保の改革で取毀しを命ぜられたが、水野越前守も将軍の庭園には手を出せなかった。
明治四十年頃にサッポロビール工場ができ、工場の拡張とともに庭園は取毀された。
※工場の屋上には、鷲神社が名残をとどめているらしい。
コメント