グンマの昔:一井旅館・草津
ベルツ博士は明治11年頃より草津温泉に数回訪れ、温泉を分析し、正しい入浴法を指導すると共に「草津は高原の保養地として最も適地である。草津には優れた温泉のほか、日本でも最上の山と空気と全く理想的な飲料水がある。こんな土地がもしヨーロッパにあったらどんなににぎわうだろう」と称え、世界無比の高原温泉でありことを世界に紹介し、日本の草津を世界水準に引き上げました。
※写真は辰巳館
※ベルツは、明治政府が招致した「お雇い外国人」の一人
志賀直哉が「暗夜行路」後編を書いたとされる。
※五号館
○ベルツと草津温泉
1878年頃に初めて草津へ来る。 1890年西町薬師耕地・西山泉水・乙西に約6000坪の土地と温泉を購入し温泉研究所・療養所・保養所づくりをめざすが、「外国人に温泉を使用させるのはどうか」との反対論者があり帰国を決意。 その後反対論者が折れ町を挙げて賛成に回ったが、時遅く計画は実現しなかった。
1880年「日本鉱泉論」エルウィン・ベルツ著(中央衛生会訳)を発刊、1896年草津の時間湯を研究した論文『熱水浴療論』が『ドイツ内科学書』に収蔵された。
☆「草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし」にでてくる「蟻の門渡り」
※時間湯浴
約48℃で3分入浴を毎日5回(後に4回)、一ヶ月継続すると湯に含まれる酸のため「タダレ(酸性泉浴場皮膚炎)」ができる。 湯治を続けると次第に治るが、帰路に沢渡温泉で入浴するとアルカリ泉なのですぐ治る。(皮膚病・神経痛・糖尿病・動脈硬化に効くとされた)
※かつては、混浴はフツー、もっと前は男女共に素裸で往来を歩いていたともいわれている。(癩病・黴毒・皮膚病の患者も多く異様な光景だったらしい)
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