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上野村

Ueno36○上野村の地名
 楢原(ならはら)、乙父(おっち)、乙母(おとも)、川和(かわわ)、勝山(かつやま)、新羽(にっば)、野栗沢(のぐりさわ)、中ノ沢(なかのさわ)、三岐(みつまた)、神行(かんぎょう)、浜平(はまだいら)、黒川(くろかわ)、明ヶ沢(みょうござわ)、白井(しろい)、坂下(さかした)、利根平(とねだいら)、堂所(どうどころ)、大平(おおだいら)、須郷(すごう)、楢沢(ならざわ)、中越(なかこし)、小春(おばる)、中村(なかむら)、田平(ただいら)、石神(いしがみ)、乙父沢(おっちぎわ)、神寄(かより)、住居附(すもうづく)、向屋(こうや)、八幡(やわた)、野乗(のぐり)、奥名郷(おくなごう)、胡桃平(くるみだいら)、

Tenmaru39○天丸山

Kasamaru39○笠丸山


☆乙父・乙母
 木曽義仲の四天王と言われた今井四郎兼平の遺児が一族郎党に付き添われこの地にたどり着いた。 そして乳母たちの住み着いた所を「乙母」、男たちの住み着いた所を「乙父」とよぶようになった。
※「乙女」のながれではないか? 「おっかぁ」・「おっとぅ」かもしれない。

○乙父・乙母
 文治年間、木曽義仲滅亡のおり、討ち死にした今井兼平の郎党夫婦がこの地で別々に住むことになり、夫が住んだのが乙父・妻の住んだのが乙母ともいわれる。
 元々は乙母(おとも)村があり、アッチコッチの意味で乙父村を作ったとの説もある。  
※越智・小千・小友などの地もあったらしい。

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