グンマの昔:鹿沢温泉
○鹿沢の湯
白雉元年頃、貞保親王なる者が眼疾でなかなか治らないでいると「信濃国浅間山裏にある温泉で眼を洗え」と夢の中でお告げをうけた。 そして現地におもむき沸々と湧く湯を見つけた。 これが「鹿沢の湯」である。 病の治った親王は、近傍の弥津村に永住したとされる。
また、鹿を追って狩人が深山に入ると、手負の鹿が湯に入り疵を治しているのを見て、「鹿沢の湯」と名付けたとの説もある。
○鹿沢温泉
1918年鹿沢温泉で大火となりほとんどの旅館が焼けた、6km下流に移転・温泉も引湯し「新鹿沢温泉」とした。
○田代大火
1938年11月29日嬬恋村田代で大火、72戸・300棟・471名の被災者となった。(全部落204戸)
※グンマの温泉に大火はつきものだった。
※水田がなく水稲不能なので、田に代わる地なので「田代」。
☆桟敷山・鹿沢の湯
六里ヶ原の景色にみとれた源頼朝が見物の桟敷を作ったといわれている。 ただし、この山には天狗が住んでいるのて下記注意が必要である。
○山に向かって小便すると、天狗に首を抜かれる。
○謡曲をうたうと天狗が来る。
☆温泉
乱世のころ温泉は、傷・創・病を治す療養所であり隠れ家であった。 戦いの時代が終わると温泉に来る者が減り、集客のため多くの伝説が生まれた、といわれる。
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