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前橋伝説(1)

Maebashijyou2○法燈寺は堂塔伽藍が建つ度に焼けたので、杉の坊の天狗により再建されたがやはり焼けて護摩堂だけ残った。(法は水が去る・燈は火が登る、と書くので凶)

○青梨子・井戸八幡宮は竜巻によってでき、眼病に効くといわれた。 井戸には白蛇が住むと言われるが、覗くと目がつぶれるらしい。

○朝に前橋を出ると、暗くなるころ到着するので「あさくら(朝倉)」。

○蹄石は、八幡太郎義家が八幡山へと馬で飛んだ時の足跡。

○旦那坂には、追いはぎがでた。 そして言った「旦那・旦那」と。

○おこり仏、大きい方をさわると腹痛・小さい方をさわると治る。

○涙橋は、江戸時代刑場に向かう罪人が泣いた所。

○オトボウ池(おとぼ沼)には大きな鯰がいて、捕った人に向かって「オトボウ・オトボウ」と鳴いた。※ドロボウの意

○荒口・大黒天は向いた方向の村が栄えた。

○火伏せ様は、火災除けの神様。

○猫山には、猫達のたまり場だった。 猫達が話をしているのを盗み聞きした人も多い。

○行人塚は、生きながら墓に入った人の墓。

○林倉寺・片腕地蔵は身代わり地蔵、災難を一身に引き受けてくれる。

○石工たちがノミを打ち込んだら血が吹き出したのが岩神の飛石。 そして岩神の地名になった。(飛石の残りは片石山)

○梅ガ橋には、前橋城殿様妾の「お梅」が住んでいた。

○村主の清水は酒だった。 でも、馬糞(藁靴の説もある)を投げ込んだのでただの水に変わってしまった。

○笂(ウツボ)は、竹を丸めて魚をとったから。(弓矢を入れる道具の説もある)

○大日様は、大胡城牧野氏の娘を預かった所。 できの悪い娘で、男好き・風呂嫌い、座敷牢暮らしだったとの情報もある。

○江木町六所神社南墓地には首塚がある。(戦い死者を葬った死体山)

○江田・鏡神社の額は、見た人が落馬するというので社殿に納めた。

○刎渡は、人が川をはねて渡ったので「はねっと(刎渡)」とよばれた。

○マミサン河原にはマミサン(狢)が出たので「マミ大明神」を祭った。

○豊城入彦命が奥州へ行く途中、身重の連れを残した所が大守神社、お産の神様でもあり、池の水を飲むと安産。

○女屋・道元橋の出資者は赤堀道元。

○橘清重の牛車の牛が放牧されていたので牛橋。 源頼朝が橋を通ったとき、橋の上に牛が伏せていたので牛伏橋、後に牛橋との説もある。

○後閑山には源義経の足跡がある。

○ムジナがお経を唱えたというのでムジナ経。

○女屋・桃川神社は諏訪神社と熊野神社を合併した。 熊野神社(オクマン様)の眷属は蟻なのでアリを殺してはいけない。 キリギリスはアリを食べたので、女屋から追い出された。

○万歳師が落ちて死んだ淵が万歳池。

○上杉氏の末孫が女酒屋を営んでいたので「女屋」という地名になった。 名主千兵衛が前橋城主酒井候に認められ女屋氏を名乗ったとも。

○前橋城主家臣の日下部氏の屋敷にあった稲荷が日下部大明神。

○検知の縄や六尺棒を納めたのがお尺司さま。

○長壁稲荷は前橋城の守護として、姫路から移された神社。 前橋城を川越に移した際、城主夢枕に長壁稲荷が現れ川越への移転を申し出た。 城主は言った「守護神のくせして城を守れなかった… ダメ置いてく」。

○ふと藤の花に見とれた橘直正が、長年捜し求めた久方姫を見つけたのが天野の藤。(後に天野の藤園)

○稲荷祭用にイワシを売りに来た魚屋が強盗に殺されたのが「イワシ塚」、残された天秤棒を土に刺したら杉の木になった。

○鰻池のウナギを食べると眼がつぶれる。 村には鰻を食べない人もいる。

○この辺の利根川は静かなので、櫂一つで船が漕げた。 だから「かたがい(片貝)」

○源田島には、火の玉に化けるのが上手な狐がいた。

○猫見塚には百歳以上の老猫がいた。

○比丘尼石は、旅の比丘尼が行き倒れとなり石と化した。

○イチッコ塚は、越後の巫女(イチッコ)を供養した塚。

○古利根川の船頭たちが休んだところが船渡の松。

○御用簗があったのが簗場、御用簗の道具を入れた倉が簗倉。

○塩原太助が追いはぎに遭ったところが追いはぎの松。

○上佐鳥の八つの穴には狐が住んでいたので、そばの橋は八穴橋、キツネを祭ったのが八穴稲荷。

○女中お花が、大事な金のかんざしを拾おうとして落ちたのが「お花ケ池」。 祀ったのが「お花地蔵」。

○伊勢参りで宿に借金をしたのが坂東太郎岩。

○上長磯の十日夜は、静御前の都合により十月九日。

○利根川の渡し船の船頭が住んでいたのが船頭山、船を繋いだのが船つなぎ石。

○トビの足跡があるのが鳶石。

○昔の利根川は、鯨田までクジラが上がってきた。(大きいの意)

○比丘尼が食べるものが無くなり死んだのが「ひだりい田」。(ひもじいの方言)

○上泉の行石は行者が行をした石、脇の畑を耕すと病人がでる。

○如意寺の田植地蔵は小僧に姿を変えて田植えを手伝った。

○小泉の水引地蔵は、上泉村から水を引こうとしたが、村人に見つかり耳を切られた。

○亀里・極楽寺から鎌倉へ通じる道は鎌倉街道、善光寺から信州に通じる道は信州街道。

○常盤御前が乗っていた馬の馬具を埋めたのが馬具塚、五輪塔もある。(現極楽寺)

○常盤御前が源氏再興祈願のお礼に鎧と鰐口を奉納したのが代田八幡宮、衣を替えたのが「じげん堂」。

○如来野が訛って「野良犬村」。

○雙林寺善行が休もうと袈裟を脱いでかけたのが「袈裟掛けの松」。

○軍司が釣りをしたため熱池となったが冷えて水に戻っても魚が生きていたので「公田山乗明院魚遊寺」。

○岩舟地蔵(お船地蔵)はイボ除き地蔵。 屋根を架けたら線香の火が移り燃えた。 そこで地蔵は「私は昔から露仏、雨濡れでいい、ヤネイラナイ」。

○長尾兼忠の胴部分が埋められたのが龍海院・胴塚、首は大門南の杉森様に埋められた。 杉森様は首から上の病気に御利益がある。

○岡崎城主松平清康候が文字「是」を夢に見たのを喜び、建てたのが「満珠山是字寺龍海院」。

○片貝諏訪様から神様を背負って来た人が腰掛けて休んだのが幸塚。

○蛇屋敷は殺した蛇の祟りだった。

○源頼朝が草津に行く途中休み馬を繋いだのが駒止めの松、蹄を祭ったのが駒形神社。

○源頼朝が鏡代わりにしたのが「鏡田」。

☆前橋市外河原・大興寺の、前橋城主松平家遺品の小箱


※鰐口には、江戸時代から別の意味もある

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