○古代東山道
東山道は、近江国・飛騨国・信濃国・上野国・下野国・陸奥国へと通じ、上野国内には坂本・野尻・群馬・佐位・新田の五駅(三十里毎)があった。 その一つが群馬駅(くるまのうまや)であり、中世に厩橋城が築城された。 後の慶安年間、厩橋が前橋に改称された。
※平安時代の前橋の人口は一万人弱といわれる。
○奈良時代、平城京起点とした広域道路網として、東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道なる官道があった。 このうち、平城京~近江~美濃~上野~下野~陸奥へと続いたのが東山道であり、道幅4~12m・両側に側溝・約16kmおきに駅(うまや)・のろし台設置済・食料や宿所も備えられていた。
※高崎市内・前橋市内のルートは九世紀頃に 変更されたともいわれる。
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